(5―3)北斎の富岳三十六景 “社会批判”の画 (鑑賞)(後編)(18(完))
北斎が『富岳三十六景』作品中に盛り込んださまざまな嘘・冗談・謎・卓越した工夫などのアハahaを箇条書きにしていく。
(46)江都駿河町三井見世略図(こうとするがちょうみついみせりゃくず)
江都駿河町は現在の東京都中央区日本橋室町にあった。
駿河町の通りを挟んで,立派な三井本店(越後屋:のちの三越)が二棟向き合って並んでいる。右の店の屋根に職人が三人登って瓦修理をしている。空に凧が舞う。通りの奥には富士がそびえる(図1)。
図1
1(もっとも指摘したい箇所): よく指摘されていることだが,画家の視点は一階の庇あたりにあって上を向いているため,画面には店の前の通りとその賑わいがない。
この視点の置き方がすごい。時は1830年代,所は日本の江戸なのだ。19世紀前半には西欧ではスペインのゴヤ,フランスのアングル・ドラクロアなどが活躍していたが,このような種類の斬新な構図の画を描いた画家を私は知らない。画に人々が期待する光景がない。それにも関わらず,画が一般庶民に売れた。つまり江戸庶民がこの画をよしとしたのがとりわけすごい。
建物が精緻に描かれていて,そこにいくつもの嘘が潜んでいる。単なる間違いにしては数が多すぎて,しかも手が込み過ぎている。細部にこだわる北斎が精魂込めて工夫しているというより,何かに憑りつかれたようにやっている。指摘しておかねばならない。
屋根について:
2: 画面右に入母屋造りの屋根がある。しかし,実際の屋根は本作品と違い,90度回転した位置で富士の見える通りを向いていた(図2:大江戸博物館にある三井本店の模型)。
図2: 三井本店の右には番屋と木戸がある
3: 屋根の角度が急すぎる(図3の⑨⑩,図2と比較)。それに加えて,画家の視点からすると屋根の左右の角度(図3の⑨⑩)は同じのはずだが,右(⑨)が急だ。
図3
4: 右屋根の白黒の斑線(赤線⑧,⑫)が屋根のてっぺんの大棟から軒下までついている。これは丸瓦をつないだ風切丸(カザキリマル)(瓦屋根各部の名称は統一されていない)というもので,左の風切丸(⑧)が右の風切丸(⑫)より内側にあるように見える。
5: 風切丸の瓦どうしは漆喰で上下をつながれている。白い漆喰の間隔は,左の風切丸(⑧)が右(⑫)より長い。ほぼ同じであるはずだ。
6: 同様に,右家屋一階庇にある風切丸の漆喰の間隔(㉙)が左家屋一階庇のものより短い(㊸)。ほぼ同じであるはずだ。
7: 屋根瓦が屋根の下地の板(野地板)に漆喰で固定されているのだが,先端部を見ると⑥には漆喰がなく,㉑にはある。
8: 右の家の庇を垂木(化粧垂木)(㉓)が支えている。その間隔が不揃いだ。
9: 右屋根の庇が左下がりなのに,垂木(⑳)の向きが右下がりになっている。これはどちらも同じ向きになっているもので,実際,左屋根の垂木(㊹)の向きは庇と同じ向きになっている。
10: 切妻の屋根を縁取る板(⑯:破風板)・破風板の厚み(⑰)・破風板と壁の間の隙間(軒天)(⑱)・壁に破風板と平行についた板(⑲)がある。軒天の最下端は下の屋根瓦に対して斜めになるはずが不自然な形で結合している。
11: 右の屋根の庇(㉝)が左の屋根の庇(㊴)より大きい。同じだったに違いない。
12: 屋根ふき職人が作業している。二人の動作が本シリーズの『本所立川』にある材木屋の職人と似ている。ただし,『本所立川』の場合,⑤に当たる職人は本作品と全く同じ位置と動作なのだが,⑦に当たる職人は右ではなく左にいて同じ動作で受け取ろうとしている。おかしい。
13: ⑤の職人のねじり鉢巻きの位置がおかしい。どうすればこのように結べるのかわからない。
14: 右の一階庇が直線的なのに,左の庇は曲線を描いている。他作品に比べて本作品には直線が多いのだが,左庇は逆らっている。
15: 左右屋根の瓦はどちらも右下がりにふかれている。画家の視点は通り中央にあるのだから,この場合左屋根の瓦は左下がりになる。
壁と窓:
16: 屋根の破風にある縦の柱のいくつかが傾いでいる(⑭)。
17: ⑬⑮の部位では右の横棒が短い。
18 : 右の家屋の二階の横木(㉗)が立体的には正確に描かれていない。
19 : ㉘の部位は上の柱と下の柱がずれている。
20: 右家二階の窓格子の間隔が,左右の窓で異なる(㉔)。左窓の格子の間隔が広い。
21: ㉚の格子の間隔が突然広くなる。
看板:
22: 右の店では看板を立てる柱(㉛,㊶㊷)が二階の屋根の下に伸びている。この柱は一階庇の端ギリギリの所に設置されるものだ。すると,本作品では一階庇の方が二階屋根より小さくて内側にあることになる。実際には一階庇は二階屋根と同じか大きかった(図2の模型)。
23: 看板の上に小さな屋根がかかっている(図3の㉜㊵)。中央看板の屋根が手前(㉜)より奥(㉞)が高くなっている。左看板でも手前(㊵)より奥(㊳)が高く,これは逆だ。
24: 看板の柱をみると,柱の下側が二本線で描写されているのに,上側は一本線で平面的になっている(㉛と㊶㊷)。
25: 看板の屋根の構造が異なる。中央看板の屋根には垂木がない(㉞)が,左の屋根(㊳)にはある。
26: 左看板が正面に対して向いている角度が右看板の角度より不自然に大きい。
27: 左看板柱がわずかに前傾している。
28: 右端の看板の屋根が他のように瓦ぶき(㉜㊵)になっていない(㉒)。天下の三井本店なのだから,統一されていただろう。
29: その右看板だが,支えとなる柱が描かれていない(㉕)。他の看板のようすから,柱は母屋の庇の傍か下についているはず。すると,この画では看板の左側に柱があるべきなのだが,それがない。もしこの看板の柱が右端のさらに右にあるため描かれていないとすると,右看板は日本橋通りを隔てた店の物になってしまう。そうだとすれば,あまりに斬新だ。
30: 右看板(㉕)の下端が上向きになっている。これは下向きになっていなければならない。
その他:
31: 右側の店の前に黄色の不揃いな高さをした塀がある(㉖)。三井本店に不釣り合いだが,木戸番屋の塀か門だろう(図2の模型)。木戸番屋は町内で管理していたので,三井本店が恥になるような体裁の造りにはしなかったはずだ。『江戸名所図会 駿河町三井呉服店』や広重の『東都名所駿河町の図』などを見ると,りっぱな塀になっている。
32: 実際には,塀(㉖)に平行して位置する店の側面には,客が出入りする”出入り間口(客が出入りする所で商家では暖簾がかかっていた)”があった。それにしては,どう見ても塀と出入り間口の間隔が狭すぎる。
33: 三井本店前の通りをまっすぐ行くと江戸城城壁に突き当たる。江戸城までは数百メートルはあったことを考えると,石垣(㊲)は途方もなく高いことになる。
34: 城壁の上に白壁の土塀がないのもおかしい(㊱)。また,他の浮世絵師が描いた江戸城には櫓が見えるのだが,この画にはない。
35: 江戸城の建物(㉟)が上から見下ろされているように描かれているのがおかしい。
36: 凧に本シリーズ版元“”西村屋永壽“の「壽」の字がある(③)。三井本店の上に,西村屋の凧があって,三井を下に見ている。たとえ「壽」の字の凧が一般的なものだったとしても,本シリーズの作品にあっては,必ずや西村屋を連想させるだろう。
37: 凧が高く上がっているのでいい風があるのだ。それにしては凧のしっぽが風になびいていない(①)。だらりと垂れている。
38: 凧を張る糸が不完全で,凧の下端がとまっていない(②)。凧は不安定になる。
39: 空が画面を三等分した中段上段に渡り,広い。空が中段の下まで降りている作品は少ない。
40: 写実風な三井の店舗から遠のくにしたがって,江戸城,すやり霞,富士(④)と形式化(抽象化でもある)が進行する。
作品中に多数の細かな疑問点・”間違い”があり,しかもかなり注意しなければわからないようなものだらけだ。そして,細かいからこそ,その”間違い”は画面構成上の美的工夫に帰することができない。それら”間違い”は画面になくてもいいのものだからだ。したがって,これらが北斎によって意図的に仕込まれたものと考えるしかない。北斎は本店の建物に多数の欠陥を入れることで豪商三井をからかっているのではないか。
作品としては,三角と平行四辺形と富士の曲線とを組み合わせて安定した構図を取る。その構図の中で,急な屋根の傾きとそこで作業する職人たちの動きから,緊張感と躍動感が表現される。また,手前に木造の建物を写実風に精緻に描くのだが,遠くなるほどオブジェが形式化している。
安定感と緊張感・躍動感,精緻な写実風と形式化といった対立する表現が混在し,さらには細かな多数の問題点が詰め込まれた画なのだが,全体的印象としては,斬新な構図の割に落ち着いたものになっている。これが北斎の力量なのだろう。
(前掲36)東都浅艸本願寺(とうとあさくさほんがんじ)
本作については『北斎 煌めく嘘 “異界を描く” 大入道霞(13)』で述べ,「社会批判」の項目の所で再度取り上がるとしていた。改めて紹介し直したい。
東都浅艸本願寺は江戸浅草にあった本願寺。巨大屋根で有名だった。
巨大な屋根に職人がのっている。大屋根の左下に町家が密集している。上にはすやり霞がかかる(図4)。
図4
図5は『江戸名所図会』の浅草本願寺である。巨大な屋根をもつ本堂があって広い敷地は人々で賑わっていた。
図5
1(もっとも指摘したい点):
:入母屋造りの屋根には,合掌形になった三角部位(破風)をつくる板(破風板)があり,その下に飾りが施されている。飾り板中央に線(図6の⑱)があり,線の下に蕪型の膨らみ(⑲)がある。膨らみを懸魚(ゲギョ)という。懸魚はもともと魚の形をしたもので,水に関連することから建物を火災から守るまじないだったが,日本では魚形ではなく,蕪型をしているものが多い。
図6
懸魚を挟む飾り板に透かし彫りがされて,後方の青色の壁が見える。この青色の形が手をついた女の裸体(図7の㉜)になっている。懸魚と飾り板の厚みの部位が帯状になって,女体を二つ形作る。女体には顔(㉝),乳房(㊱),尻(㉟)と足(㊲)が見て取れる。作画の視点は絶妙な位置にあって,これを動かすと女体の形が悪くなる。
図7
上記『江都駿河町三井見世略図』の三井本店の懸魚(図3の⑪参照)と比べると,この懸魚が三井の懸魚のような通常のものとは違うことがわかる。
◎ 本作品のものには懸魚周辺に飾りが多い。
◎ 懸魚の飾り板の縁どりは,通常のものとは微妙に違って女体を形作る。
さらに見ていくと,
2: 女体の尻の上に横向きの人面がある(㊵)。
3: 蕪の中央にあるのは花模様(㊳)らしい。通常は葉の模様なのだが,葉にはみえない。全体としては裸体の女が花を囲んでいるのだから,この花は花芯を直に連想させる。そうであれば,懸魚の飾りの皺模様(㊴)が納得できる。
かなり淫猥だ。
この画は,エロティックであり,巨大寺院の僧侶の女犯(ニョボン)をからかうものであり,嘘に満ちた虚構であり(四十六景すべてがそうだが),面白い。
建物について:
4: 本作品の本願寺の屋根が巨大で急過ぎる(図5)。そこを瓦職人たち(図6の⑬⑯)が登山しているかのようだ。上の職人が伸ばす手ぬぐいに下の職人がつかまって引っ張ってもらっているのがおかしい(⑮)。
5: 屋根の上には巨大な鬼瓦(⑫)が乗っている。実際にこのような瓦があれば,屋根は潰れる。
6: 鬼瓦の左右にある巨大な波状の飾りの瓦(荒目流し(⑦))が左右対称になっていない。
7: 左の荒目流しの上に2人職人がのっている。彼らがのっている瓦の色が白い(⑧)。しかし,荒目流しの端の瓦では濃い藍色(③)になっている。変だ。
8: 鬼瓦に線が入っている(⑪)。線の下側は見えるが上側が見えない。つまり下から見上げる視点で描かれている。他の部位は上から見下ろす視点で描かれていて変だ。
9(新指摘箇所): 鬼瓦の下に青い⑭の構造がある。これが何かわからない。
10: 鬼瓦の位置から瓦が3列せり出して葺かれている(⑨)。通常は1列のはずだ(図5)。
11: 破風板(⑤⑩の下部)を見ると,右の板の上には2層の帯状の線があるが左には1層しかない(⑤⑩)。
12: 懸魚を挟む板に飾りの透かし彫り細工がされ,後方の青色の壁が見えるが,左右の飾りの高さが異なる(⑳)。
13: 懸魚の中央の線(⑱)だが,上側が太く下に行くにつれて細くなっている。
14(新指摘箇所): 乳房をつくる部位の底辺の長さをみると,右(㉑)が左(㉔)より短い。これは右からの視点なので右が長くなるはず。
15(新指摘箇所): 肘木(ヒジキ:屋根の重さを柱に伝えて支える構造)の左右(㉒㉓)の長さが異なる
その他にもおかしな部位がある:
16: すやり霞が閉じた目・突き出た顎・鼻を持ち,大入道の顔になっている(図6の㉗㉘)。
17: 画面中段左に丸太で櫓が組まれている(㉚㉛)。この櫓が何であるか,井戸掘りの櫓説と火の見櫓説と意見が分かれているようだ。櫓は立体性に乏しく,平面的に組まれている。丸太は細くて長く,加重に耐えられそうにない。縦と斜めの丸太もあるが,下に繋がっていないもの(㉚㉛)もあって,補強にはならない。崩れないのが不思議だ。だから空想上の櫓であって現実の物ではない。すくなくても火の見櫓ではない。火の見櫓は重要な施設であり,『深川万年橋』にあるようにしっかりした構造物だった。
18: 櫓の後方に民家が立ち並んでいる。あまりにも密な上に左右方向に家が並んでいて,これでは縦方向の道をつくることができない(㉙)(図5参照)。
19: 凧が上がっているが,屋根の上に職人と比較して大き過ぎる。
20: 凧の尻尾の数が多い(①)。どうなのだろう。
21: 鑑賞者が霞を大入道として見ることができれば,中央の霞は手に凧糸を持っている(㉖)ことになる。それがおもしろい。
22: 屋根の傾斜は『御厩川岸より両国橋夕陽見』の両国橋の曲線とほぼ一致する(図8)。
図8
23: 富士の稜線は『御厩川岸より両国橋夕陽見』の渡し船の曲線とほぼ一致する(図8)。
24: 富士の右稜線下部がなだらかな曲線ではなく曲がっている(④)。これは右下に他の山の稜線がくっついているからだろう。稜線を大切にする北斎がなぜこんな稜線にしたのか疑問だ。
『富嶽三十六景』四十六作品すべてに,たくさんの虚構が盛り込まれている。本作品では中にエロティックな女体が隠されていているなど,その虚構が甚だしい。それは本願寺という巨大仏教宗派の堕落をからかうものではないだろうか。
それにしても,藍色と精緻な線描と北斎の愛した曲率の曲線で,大伽藍,江戸の街並み,躍動する人物,荘厳な富士の見守りが見事に描かれており,その中にエロティシズムを潜ませ,さらに社会批判を入れて江戸っ子に留飲を下げさせたであろうから凄い。
以上見てきたように,『富岳三十六景』全46作品には,北斎の全身全霊をかけた,一度限りの,”神がかり的な”創意工夫と技巧がある。作品群としてこれ以上のものはいかに北斎でもできない。彼は「努力精進すれば年を重ねるほど技量が向上する」というようなことを言っているのだが,それは彼の望みであって,我々はうのみにしてはいけない。技は少し上がったかもしれないが,芸術家として人々を感動させる全体的力量は年をとっても上がってはいない。
ところで,”神がかり的な”創意工夫とは何かといえば,それはソクラテスの論の受け売りであって,私が満足に説明はできるものではない。プラトン哲学も最終的には直感的に信じるかどうかだから,私の姿勢としてはあまり問題ないだろう。
46作品について書くのに思ったより時間がかかった。
完