(5)北斎の富岳三十六景 社会批判の画 (鑑賞)(前編) 


浮世絵師の喜多川歌麿には社会批判の画が多い(『謎解き歌麿「深川の雪」(鑑賞)』『歌麿三部作:深川の雪・吉原の花・品川の月の鑑賞1/2』参照)。なかでも
秀吉の「醍醐の花見」を描いた『太閤五妻洛東遊観之図(タイコウゴサイラクトウユウカンノズ)』は将軍家斉の行状を揶揄するものとして幕府の怒りを買い,歌麿には実刑が下っている。

新しもの好きな北斎は社会批判の画をあまり描かなかったが(あるいは知られていないが),『富嶽三十六景』の中には北斎らしい諧謔の効いた社会批判の作品がいくつかあるので紹介する。

 

 

43下目黒(しもめぐろ)

 

江戸郊外下目黒の農村風景が描かれている。一般にはのどかな田園風景と評されている(図1)が,そうだろうか?

1610下目黒
          図1

 

1: 二人の鷹匠(図2の⑥)が腕に鷹(⑤)をのせて,将軍家の御鷹場のあった下目黒に鷹の調教に来ている。その横に一人の農夫が跪いている。幕府御家人の鷹匠は,平役で役高100俵三人扶持ほどというから,30俵二人扶持の町方同心より高給取りであるものの,旗本とは比べものにならない。鷹狩は将軍の権威を象徴するものであったから,その権威を笠に着る鷹匠たちが多かったという。百姓たちに無理を言ったり,鷹の調教で田畑を荒らしたりして,百姓たちから忌み嫌われていたらしい。本作品では鷹匠の一人(⑥)がもう一人の鷹匠に話しかけている。不愉快なことがあったのだろうか,彼は眉を吊り上げ口の前に手をやっている。その前に農夫が跪いている。江戸後期になると大名行列が通っても庶民は道端によって見送っただけだったから,下級武士と話をするとき農夫が正座することは普通にはなかっただろう。この農夫も身を低くすれば足りたのではないかと想像する。農夫が土下座しているのは難題をつきつけられているのであって,のどかではなく緊張した状況なのだ。

1620下目黒番号1
          図2

2(もっとも指摘したい箇所): 鷹匠たちの腰元を見ると太刀らしきものがない。腰の物は少なくても他の作品に見られるようなくっきりした線で描かれた太刀とは違う(例えば,後述『東海道品川御殿山ノ不二』の武士参照)。⑥の鷹匠の刀の柄は細く,直線ではなく歪んでいる(⑧)。もう一人の鷹匠の打裂羽織(ブッサキバオリ:武家の外出用の羽織で,帯刀用に背中側が半分縫い合わせていない)からは棒きれのようなものが突き出ている()。現在の復刻版では,その棒を太刀の柄や鞘であるかのように鮮明な線で描いている。ということは現在の彫師もおかしいと感じて修正しているわけだ。さらに,御家人ならば二本差しなのだが,⑥の鷹匠の腰には太刀の柄はあるが脇差の柄がない。さすがに北斎が描いていないものを描き足すわけにはいかないから,復刻版にも脇差はない。いかにも奇妙だ。北斎は細部にこだわる画家だ。したがって,これは間違いや描き損じではない。作為なのだ。では,北斎が鷹匠に棒を腰に差させ,二本差しにさせなかった理由は何だったのか。北斎善人説をとると説明できないが,これは太刀を持たない,つまり武士の魂を持たぬ者という皮肉かと思う。

こう見てくると,この画はのどかな田園風景を描いたものではない。むしろ,農民を困らせる,武士の魂を失くした鷹匠の悪行を江戸庶民に公に告発するものとみることができ,そうであれば北斎にしては数少ない社会派の画となる。

3: 鷹匠は左腕を高く上げて鷹が見えるようにしている。権威の象徴の鷹(⑥)を見せるためだろうが,この姿勢を続けるのはかなりきつい。

4: 鷹匠に供がいない。

5: 松の木が白雲を背景にして鮮やかに浮かび上がっているのがユニークだ。他の作品を見ると,樹木の枝ぶりや葉の付き方を写実的に克明に描写するものや斬新だが形式的にデザイン化したもの等があって多様だ。この松も多様な中の一つである。

6: 松の枝()が少ないのがおかしいが,木は上品に描かれていて,ここが将軍家御鷹場近隣であることをうかがわせる。それが逆に鷹匠の悪行も際立たせている。

7: 田らしきものがない。積み藁(⑦⑯稲ニオ)があるのは麦の藁だろう。畑は麦畑か野菜畑なのか,きれいな畝が立っていて,農民の勤労がうかがわれる。いっそう鷹匠の傲慢が際立つ。

 

8: 右上段に丘があり,丘の上に緑濃い畑(④)がある。畑は帽子のように丘にかかっている。しかし,傾斜がとても急な所にも畝がある。そこでは農作業はできない。

9: 畑の畝と畝の間隔が狭すぎる(⑩)。農作業に適さないばかりでなく,野菜・作物が育つ空間が不足する。

10: 富士(②)が小さく,しかも丘の道の隙間からのぞいている。これが歌川広重のいう「北斎は画の面白さを重視したので,富士を副次的に扱った作品が多い」ということなのだろう(『信州諏訪湖』参照)。しかし,副次的かというと違う。富士が鷹匠の行為をしっかりと見ているからだ。

『富嶽三十六景』中には多数の人物が描かれているが,屋外にいる場合,人物の大半は自分から目を上げれば小さな富士でも見ることができる位置にいる。富士が見えない所にいる者はとても少ないのは驚きでもある(いたとしても道を移動中の人物であったりして,建物の影に入っているが,すぐに影から出てきそうな構図がいくつかある)。本作品でもそれがいえる。彼らが富士を見ることができるのなら,富士も彼らを漏らさずに見ているわけだ。これは広重の言うような付け足しの富士ではない。庶民の守護神としての富士だといえよう。

11: 右端の農家の屋根(⑮)の大棟(⑱)には2か所藁(⑰)がかかっている。この構造は大棟を抑えて風雨から守るものだ。他の茅葺屋根では大棟の両端にあるのだが,この農家では左にないのが変だ。

12: 大棟が屋根の端まで伸びていない(⑮⑳等)のが変だ。大棟は三角屋根の茅を抑えて保護するはたらきをするので,端も覆っていなければならない。

13: 中央の農家の屋根が巨大で,一階の下まで達している(⑲)。まるで復元された竪穴式住居のようだ。

14: 画面左右で遠近法の扱いが異なる。右半分では,鷹匠とその後方の稲ニオは適当な大きさだ。しかし,左半分では,遠くにいる農夫(①)が大き過ぎるし,3軒ある農家の中で一番手前の家が一番小さく描かれている等,遠近法を無視している。

15: 農婦が鋤(⑫)を持っているが,鋤の刃が足に当たりそうだ。こんな持ち方はしない。

16: その農婦は左手に笠(⑭)を持っている。笠は正円ではないが,画面中央にある。他の作品にも共通する配置だ。

17: (⑯)の稲ニオの下の部位がスカスカになっている。下ほど密になるだろう。このような稲ニオはない。

18: ⑬の道は⑮の家に突き当たって行き止まりになる。それでは,鷹匠らは農家の私道にいることになる。変だ。

19: 本作品は松と丘陵が曲線を描き,曲線の底に富士があるという樹下波上の富士構図になる(『尾州富士見原』『東都駿臺』参照)。

 

 

(44) 東海道品川御殿山ノ富士(とうかいどうしながわごてんやまのふじ)

 

品川御殿山は江戸の花見の名所だった。桜色の山桜が海の青と空の青と地面の黄色を背色にして咲き誇る。たくさんの行楽客が押し寄せている(図3)。

1710東海道品川御殿山ノ不二
          図3

 

ここでも北斎は武士のだらしなさを揶揄している。

1: 御殿山に登ってきた連中の中に武士が二人(図2の⑧⑨)いる。品川の岡場所で遊んできたのか,かなり酔っているらしく,扇をかざして踊り歩きしている。武士は建前上武家諸法度にある群飲佚遊(グンインイツユウ:理由なく群れ集まり、酒に溺れ、遊びほうけるが禁止されていたから,本作品の武士は庶民からみて昼間からみっともない酔態をさらす者として非難される対象となるだろう。

1720東海道品川御殿山の不二番号
          図4

2: 武士二人の後ろにいるの人物は羽織を前後逆に着ている。ということは幇間(ホウカン:太鼓持ち)か。二人の遊びの続きに付き合っているのだろう。幇間をつけての花見見物はやり過ぎだ。

 

3: 品川の東に海があり,富士(①)は西にある。だから,御殿場山から品川の海と富士を同時に見ることはできない。これは北斎がよく行った空間をゆがめる手法だ。

4: 左の小高い場所にゴザと緋毛氈(⑲)を敷いて酒盛りをする連中(⑰⑱)がいるのだが,その場所が盛り上がっていて,人も荷物も転げ落ちそうだ。

5: その中の⑱の人物が,『青山円座松』で他人の酒盛りを物欲しそうに見ていた髭面男に似ている。

6: 花見客相手の小屋が立ち並んでいる。青や灰色の屋根は板張りのようだ。その小屋が小さい(⑧)。右の小屋の前に風呂敷包みを背負う小僧(⑥)がいるが,小僧でも頭を下げないと小屋に入れないほどだ。

7: 小僧(⑥)の風呂敷には『富嶽三十六景』版元西村屋永壽山に巴の屋号がある。

8: 『富嶽三十六景』中13作品に立ち姿の女性が出てくる。そのうち5人が赤子か子どもを背負っている。本作品にも子ども(⑪)を背負う母親が描かれている。北斎の好む対象なのだろう。

9: 父親に肩車される子どももいる。子どもは二人とも眠っている。二人は背丈がほぼ同じで,同じ色合の着物を着ている。双子なのかもしれない。

10: ⑬の人物の顔が被り物に覆われていて,あやしい。

11: その⑬の人物が肩車された子どもの着物に手を伸ばして触ろうとしている。あやしい。

12: 画面中央部に正円の藍色傘(⑭)がある。

13: 中央にある3本の桜の木(㉒)には花が樹冠にしかついていないのが変だ。両端の桜のように下側にも花がついていたはずだ。

14: 左端の桜の幹が傾きすぎている(⑯)。

15: 桜の木々の幹が右に向かって湾曲していること,花の塊が弧を描いてつながるように配置されていること,花の塊を樹冠にだけ付け,中央を開けて富士が収まるスペースをつくっていること等に,北斎の作為を見ることができる。桜花の塊を結ぶと大波Great waveの形になる(図5)。大波の下に富士が来るので,樹下波上の富士構図(前述『下目黒』の19になる。黒線は岩の輪郭をなぞったものだが,黒線も波に見立てることができるだろう。

1730品川御殿山桜波
                               図5

16: 画面中央に黄緑色の丘(⑮)がある。この丘が『富岳百景』の『山また山』の山々に似ている。

17:  その丘(⑮)だが,ジグザグの曲がり具合(㉑)と15の“樹下波上の富士”構図をあわせた特徴があり,他作品と共通する(『隅田川関屋の里』『駿州江尻』『神奈川沖波裏』)。

18: 人物配置に規則性があって,頭部が直線上に6列並ぶ(図6)。それらの直線は西村屋の丁稚か右隣の女の頭部を通るため,両人の頭でそれぞれ4本の線が交差している。

1750東海道品川御殿山ノ不二人の線_e
                               図6

19: 画面中段右に3軒青い瓦屋根に家が並んでいる。その屋根の大きさが,右が大きく(③),左に行くほど小さくなる。家の前の塀(④)の大きさは距離によって変化していないので変だ。

20: ②の藪が他の作品の藪に共通した形をとり,犬のモンスターのようだ。

21: ⑤の松が独自な様式になっている。

 

 

(前掲(2)) 隅田川関屋の里(すみだがわせきやのさと)

 

本作については『北斎 煌めく嘘(北斎先生やり過ぎです)(1)』で述べたのだが,その後いくつもおかしな箇所を見つけたので,もう一度紹介し直したい。

 

関谷の里は現在の東京都足立区千住にあった。

田んぼの中の道を三人の武士が馬を疾駆させている(図7)。馬の足音が聞こえてくるようだ。

1810隅田川関屋の里
          図7

 

武士のようすがおかしい:

1: 二人の武士が着ている打裂羽織(図8の⑱㉔)が派手過ぎる。北斎はオランダ商館長の依頼で何枚か肉筆画を描いている。ヨーロッパに渡ったそれら作品の中に『武士の乗馬』という作品があり,『隅田川関屋の里』とほぼ同じ乗馬のようすが描かれている。主持ちの武士は通常,『武士の乗馬』(図9)にあるような地味な服装をしていたはずだ。

1820隅田川関屋の里番号新
              図

 

1840北斎乗馬仏国立図書館80
                         図9:北斎作『武士の乗馬』一部(フランス国立図書館蔵)

本作品では,中央の武士(㉔)はまるで女物のような派手な服装をしており,国元に急を知らせる大事な役目を持つ使者とは思えない出で立ちだ。

2: その中央の武士の赤い打裂羽織(㉔)を見ると,後が四つに裂けて翻っているように見える(㉓)。しかし,打裂羽織の場合,後の切れ込みは一か所だけであり,通常なら最後尾の武士の羽織のように二つに裂ける(④)。だから,これはあり得ない。

3(新指摘箇所): 最後尾の武士の打裂羽織が翻って,裏地が見える(④)。これが裏地の紋様に見えなく,継ぎ接ぎのように見える。

4: 画面に正円を入れるためだろうか,武士たちは笠を無理な形に被っている(⑲㉙)。馬の尻尾(㉒)や黄色の帯(⑪:尾袋)のなびき方からみて,馬の走る速さはかなりのものだ。これでは笠は風に飛ばされてしまう。『武士の乗馬』では,武士は笠をしっかり頭の真上に被っている。

5(新指摘箇所): 笠の角度からすると,武士たちは左斜め前下を向いて馬を走らせている。正面前を向かずに馬を疾駆させるのは非常に危険だ。『武士の乗馬』では,武士はしっかり正面前下を向いている。

 

馬がおかしい:

6(改訂): 最後尾の馬は,目つき鋭く凛としているのだが,尻と左右の後肢のつき方がおかしい(⑮⑯)馬の尻に注目していただきたい。尻の切れ目(⑩)があって,切れ目は鞍から横に伸びる青色の紐(⑫)で遮られている。紐の下には後肢に続く線(⑬)があるが,上部の尻の線(⑩)とうまくつながらない。段差状に尻がずれているかのようだ。だから後肢の左右(⑮⑯)がどちらかわからなくなる。『武士の乗馬』では,馬の尻はそれほどまでには捩じれておらず,左右の肢がどちらかわかる。

7(改訂): 疾駆する馬の四本の肢がすべて宙に浮いている(⑭⑰20㉑)。前述のように本作品の馬では後肢が左右どちらか区別がつかないのだが,これを『武士の乗馬』の馬と同じだとすると,左前肢(㉑)と右前肢(⑳)と左後肢(⑭)が前に向かって振り出され,右後ろ肢(⑰)だけが後ろに向いている。馬の走り方の図解を調べてみても当てはまるものがない。強いてあげればギャロップ(=全力疾走)という走り方の一瞬に似ている。肢がきちんと伸びていないから,馬が踊っているように見える。

この馬の肢運びが,『富嶽三十六景』の他の作品でも多く見られる。ゆっくり歩いているはずの馬や,立ち止まっているはずの馬でも同じような肢運びになっているのが面白い。

8(改訂): 真ん中の馬の表情が皮肉な笑い顔(㉛)になっているように見える。通常,馬の目は丸に近いアーモンド形をしていて,白目が小さい。この馬の場合,目は三角で,小さな黒目が白目に回りを囲まれている三白眼(㉚)である。これが北斎自画像『画狂老人』(図10)の目に似ている。口を半分開けたようすも似ている。北斎の悪戯心なのか。

1850北斎自画像80
                      図10

9(新指摘箇所): 中央の馬は曲がり角を前に手綱が緩んで顔を上げている(㉛)。このままでは馬は全力でカーブに入り危険だ。

10(新指摘箇所): 逆に先頭の馬が顎を胸まで引いている(㉜)から,強く手綱を引かれているのだ。しかし,道が直線になった所で早馬が速度を緩めるだろうか。


11
(もっとも指摘したい箇所): 武士の姿には強い違和感を覚える。疾駆する馬上で笠(⑲㉙)を正円に保てるわけがないこと。打裂羽織(㉔)が派手過ぎること。打裂羽織の風に翻る様が写実的でなく,締まった形にきっちりまとまっていること(㉓㉔)。上半身が折れ曲がることなく地面に水平になっていること等がその違和感のもとになっている。

私の想像になるが,水平に配置された丸い笠・派手な打裂羽織が人形の姿に見える。画を90度回して見ると,人形姿がよくわかる。武士の本当の足は薄青と黒を基調に描かれているため,派手な打裂羽織に対応しきれていない。しかし見ようによって,中央の人馬で,本物の足の隣にくっきりした赤い足(㉖)が浮き上がってくる。この足は本物の足が赤いゼッケン(㉕=あおり:鞍にとりつけた泥除け)を縁どったものだ。特に中央の人馬は,黒馬の上に赤い着物を着た人形が赤い脚絆をつけて疾駆しているようで,とてもシュールだ。これまでに見てきた北斎の行状からすると,私の想像は彼の作画意図の範囲に入ると思う。

では,北斎の作画意図は何だろうか?「あんた方は自分の意思のないただの人形だ」とか武士をからかうことではあるが,単にこんな画を描いてみたかったからなのかもしれない。


場面設定について:

12 『富嶽三十六景』にはすやり霞(=対象間にある空間と時間を超越させる約束事が成り立つ。画面の転換に用いられる日本画の技法)が多用されている。すやり霞の使用についても北斎は多様な趣向を凝らしている。「波」や「松」についても同様だが,ここにも凄まじいまでの彼の創意工夫へのこだわりがある。

本作品のすやり霞(図8の赤丸)は,低い・水平方向に細い切れ目が何本も入っている・霞先端が草むらの中に潜り込んでいるといった特徴があり,これらの組合せは他には見られない。

13: 中央の武士の手綱が霞と結合しているようだ(㉘)。さらに,武士は霞を体の後方に引いている。これらによって疾走感が強調されている。現在の漫画家が使う手法と同じではないのか。

14: 背景となった白い霞が最後尾の武士の姿を鮮やかに浮かび上がらせている(⑱)。

 

15: 街道中央に松が枝を伸ばしている(①)。『富嶽三十六景』中10作品に松が登場し,そのどれもがそれぞれ多様に描き分けられているのが凄い。この松は堂々と伝統的な趣をもって描かれていて立派だ。

16: 枝の下方に赤富士(②)がある。

17 北斎は,松の下の富士構図を特に愛したようで,松が出てくる『富岳三十六景』10作品中7作品でこの構造を用いている。また,松の枝葉の輪郭を結ぶ線を引くと,『神奈川沖浪裏』の大波Great waveが現れる(図11:線の引き方には別のものがあるが,それは波形が小さいのでこちらを例にとった)。さらに右の木の樹冠や土手に線を伸ばすと波のうねりが見えてくる。これは前述『下目黒』の17樹下波上と富士構図にあたる。

1860隅田川関屋の里松波構造
                               図11

18(新指摘箇所): 街道のジグザグの曲がり具合と樹下波上の不二構図が他作品に共通する(『東海道品川御殿山ノ不二』『駿州江尻』『神奈川沖波裏』)。

19(新指摘箇所): 高札場(⑤)は幕府の通知を周知させるものだ。人目に付く場所に設置されていたが,それがこんな街はずれにあっただろうか。

20(新指摘箇所): 高札場の囲いは格子構造()になっているが,格子内側に板を張っているようで,格子の隙間から背景が透けて見えない。しかし,格子内側に板張りしているにしては,内側に格子(⑦)が見えるのがおかしい。

21(新指摘箇所): 庇が巨大(③)で,実際のものとは違う。

22(新指摘箇所): 柵の上の構造(⑥)が下の構造(⑨)より大きいのが変だ。庇を入れて比べると,下から順に大きくなっている。

 

このように,北斎はありえない姿態の馬を描き,武士をからかい,新しい手法を試みながら,一見すると違和感のない緊張した美しい画面をつくっている。