202011月,熱海のMOA美術館で「北斎 富嶽三十六景」を観た。『富嶽三十六景』は北斎の代表作で海外での評価が高い風景画シリーズだ。

北斎は人生のすべてを徹して画法の向上に勤めた,ある意味偉大な奇人であったが,令和に暮らす私たちにとって,北斎の偉大さが強調され過ぎて,彼の本質を見落としているのではないかと思う(「北斎-富士を越えて」1/2 『富嶽三十六景』『龍虎図』(鑑賞))(「北斎-富士を越えて」2/2 なぜ『富嶽三十六景』のような風景画が売れたのか?)。

奇人で人づきあいが悪かったにしては,北斎には弟子がたくさんいたし,彼は版元と長年関係を維持し,滝沢馬琴などとも仕事を共にし,何より江戸庶民に人気があった人物なのだから,商売っ気のあるやり手の面があったのではないか。実際,『富嶽三十六景』には庶民が画を購入したくなるような工夫が施されている。美的なものとは別に,江戸庶民にとって話のネタになる面白いものや奇妙なものやじっくり観ているとニヤリとするような,作為に満ちた工夫を私は多数見つけた。安藤広重もその著作の中で北斎が図案のおもしろさを追求したと述べているように,北斎は江戸庶民を楽しませることで自分も楽しんでいたかのようだ。だから,旅情をかきたてること以外の理由でも『富嶽三十六景』がよく売れたのだと私は考えている。実際,『富嶽三十六景』は当初の予定の36景ではなく,10景を追加するほどの人気シリーズになった。

これから,私が見つけた作品中の変なところや愉快なところについて述べてみたい。江戸庶民やその土地の人間であればすぐにわかったであろうことも,現在では北斎のような天才芸術家がそんな冗談みたいなことするわけがないという思い込みがあってか,理解を妨げているようだ。以下,読者には私の考えに賛同されない点もあるかと思うが,画面上の物理的事実を確認していただきたい。私は46枚の画のすべてに何らかの変な点を平均14個以上見つけた。中には私が指摘するまでもない明々白々なものや市販の解説書にも取り上げられているものもあるが,それらも書き留めることにした。長い記事になる。

 

 

(1)変なところに満ちた作品の代表例

 

 (1) 神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら)

神奈川沖の大波に3艘の船がもまれている。

1 神奈川沖浪裏
この作品,海外でも“Great Wave off Kanagawa”として高い評価を受けており,おそらく日本人画家の作品としては,最もよく知られているものの一つだろう。画面では,螺旋曲線状にせり上がってから崩れ落ちていく大波の躍動,遠景の超然とした霊峰,波にもまれる三艘の船と船子たちが,美によって統合された形(参照:美と崇高の感情(美の感情の進化 6/6)で描かれている。以下に,変なところを箇条書きにして指摘していきたい。

1: 日野原氏は著書『北斎 富嶽三十六景』の中で,神奈川沖でこのような大波が立つのは疑問であり,北斎が芸術的効果を重視して波と富士の対比を際立たせたとしている。もっともである。

2: 大波に突っ込んでいく船は八丁櫓の押送船(オシオクリブネ)という高速船だ。八丁櫓の船は左右の舷に四人ずつ船子がついて櫓を漕ぐことで進む(帆走のときもある)。この船の様子を見て,「船頭たちは船ばたにしがみついている」とか「自然の猛威になすすべがない人々」というような解説や鑑賞がされているが,そうだろうか。少なくても船子達は船ばたにしがみついていない。彼らは手に櫓を持って船ばたから身を乗り出している。彼らが同じ姿勢であること櫓の角度が同じことから,波に抗し力を合わせて操船していることがわかる。問題は,船子達が船の舳先に対して後ろ向きになって屈みこむように櫓を漕いでいることだ。私は八丁櫓の漕ぎ方を知らないが,ふつうの櫓の漕ぎ方から考えると,実際には進行方向に対して横向き姿勢になり,頭を前に向け立った状態で櫓を漕がねばならない。この後ろ向きに屈みこんだ姿勢で漕ぐのは無理だろう。

3: 左舷の船子と右舷の船子の頭の上げ方が違う。つまり漕ぐタイミングが違う。舟を直進させる漕ぎ方ではない。『東海道江尻田子の浦略圖』の船子達は完全に左右逆というありえない体勢で漕いでいるから,この描き方は北斎が船を描くときのポリシーなのだと思う。

4: 舟の後部に舵らしきものがなく,当然だが舵手がいない。これでは波を乗りきれない。不思議なのだが,北斎は他の作品にも舵と舵手を描かない。

5: 左端の舟の舳先側甲板に荷物がむき出しになって積まれている。波しぶきがかかるだろう。

6: 船べりが船腹をなす一枚板の上端だけになっている。通常の和船は補強のために別の板を添えて船べりをつくっている。北斎の他作品では船べりに補強板がないものも散見されるが,しっかり補強してあるものもある。
7:
 波のしぶきを龍の爪に見立てる人が多いが,私は大波の波頭と脇の波に龍の頭部を見る。下の図には黒い目を入れてみた。波頭が龍に見えないだろうか?探せばまだ他の箇所にも龍がいそうだ。北斎は龍と富士の組み合わせを好み,『富嶽三十六景』のなかで龍に似た雲を多用している。

2 波龍目
波頭を龍に見たてると,大波の躍動感と神秘性が高まり,畏怖の気持ちがいっそうつのる。この考えに賛同できない読者もいることだろう。しかし,北斎にとっては,版画を見る者がどのように感じても何ら文句はなく,むしろ想像や解釈の拡大を望んでいたから(画を見る者・評価する者が増えるから),私のような解釈は望むところに違いない。

8: 『神奈川沖浪裏』の大波の下に小波がある。この形が富士に似ている。下の図を見て頂きたい。

3富士角度3つ
右側の図は『甲州石班澤(コウシュウカジカザワ)』と『身延川裏不二』の富士である。『神奈川沖浪裏』の小波の形に合わせて直線を引いた。小波の右側については画と同様に二本の線で表した。『甲州石班澤』と『身延川裏不二』の富士についても,山頂と左右の稜線に合わせて直線を引いた。該当する角度が波と山でほぼ一致した(小波では赤い線と青い線の角度が152度,黄色の線とは142度,緑の線とは108度だった。甲州の富士では赤い線と黄色い線の角度が142度,緑の線とは100度。裏不二では赤い線と青い線の角度が150度,緑の線とは100度だった)。このように,『富嶽三十六景』で北斎は作品を跨いだ仕掛けを入れている。これも顧客たちが発見する楽しみになっただろうと想像する。

9: 北斎は,この大波の曲線と富士からなる構図を特に愛したようで,多くの作品の中にこの構図を忍ばせている。それについては個々の作品中で指摘する。

10: 波の表現が素晴らしい。『富嶽三十六景』には波を描いたものが11作品あって,そのどれもが違う様式をとっている。技法を少し変えるレベルではなく,様式自体が異なるといった北斎の凄まじいまでの創意工夫へのこだわりがある。

11: 右の一番後方の波を見ると,白い波頭が二層になっていて,下層が上層から表層剥離している。私はこの種類の波を見たことがないが,実在するのだろうか?
12: 『富嶽三十六景』46富士の中で写実的な富士は少なく,あってもどこか意匠的でてらったところを含み,北斎の写実の力量を示すものではない。本作品では大波は極めて意匠的であり,船は写実的に見えるが実際はあり得ない内容を含み,空は心象的であるのだが,富士については荘厳な印象がもっとも写実的に描き出されている。もちろん,その印象は富士に個別に備わっているだけでなく,大波や舟や空すべてが統合されて作用することで見るものに与えられるものではあるのだが。

13: 大波の後方,左端側に海面上昇の部位がある。まるで津波のように水の厚みが波に加わっている。これは通常の波にはない。北斎がなぜこのような部位を大波にくっつけたのかわからないが,大波の存在感や力強さが増してはいる。

このGreat waveを津波と考えている人もいるとか。しかし,北斎が津波の波を知っているとは考えにくい。見たことはないだろうし,常識として江戸庶民が持っていたとも思えない。やはり,自分たちの食卓に並ぶものがこのような大波をかいくぐって運ばれてきているという想像を版画購入者にかきたてる画と捉えるほうが適しているだろう。

14: 他の舟子たちは必至になって櫓にしがみついて操船しているのに,舳先近くに乗る二人は何もしていない。『富嶽三十六景』には船が描かれたものが13作品あり,うち9作品にこのような人物が見られる。彼らは決まって小柄で,笠をかぶらず,むき出しの頭部(月代:サカヤキ)を見せる。舟は荷舟や渡し船や漁船であるから,乗客や手の空いている舟子ではないだろう。さらに船に飾りとして乗せているようではない。北斎の意図を感じるが,それが何かはわからない。


北斎は嘘を散りばめ龍を潜在させた異世界に,存在感あふれる富士を描いて万人を魅了している。

 

 

(2) 隅田川関屋の里(すみだがわせきやのさと)

田んぼの中の道を三人の武士が馬を疾走させている。

4隅田川関屋の里
1: 最後尾の馬は,目つき鋭く凛としているのだが,尻と左右の後肢のつき方がおかしい。馬の尻に注目していただきたい。黄色の帯(尾袋)の下に尻の切れ目があって,切れ目は鞍から横に伸びる青色の紐で遮られている。紐の下には後肢に続く線があるが,上部の尻の線とうまくつながらない。まるで尻が捩じれているようで,後肢の左右がどちらかわからなくなる。北斎はオランダ商館長の依頼で何枚か肉筆画を描いている。ヨーロッパに渡った作品の中に『武士の乗馬』という1枚(フランス国立図書館蔵)があり,『隅田川関屋の里』とほぼ同じ乗馬のようすが描かれている。

5北斎乗馬仏国立図書館
両者を比べると『武士の乗馬』では,馬の尻は捩じれておらず,左右の肢がどちらかはっきりわかる。だから,北斎は『隅田川関屋の里』ではわざと馬の尻を捩じれているように描いているのだ。

2: 疾駆する馬の四本の肢がすべて宙に浮いているので,走り方としては全力疾走の襲歩になるが,それにしては揃うはずの後肢の一本が前ではなく後ろに向いていることが変だ。他の二頭ともに尻は捩じれ,走り方が変だ。この馬の肢運びが,『富嶽三十六景』の他の作品でも多く見られる。ゆっくり歩いているはずの馬や,立ち止まっているはずの馬でも襲歩のような肢運びになっているのが面白い。

3: 真ん中の馬の表情が皮肉な笑い顔になっているように見える。通常,馬の目は丸に近いアーモンド形をしていて,白目が小さい。この馬の場合,目は三角で,小さな黒目が白目に回りを囲まれている三白眼である。これが北斎自画像『画狂老人』(下図)の目に似ている。北斎の悪戯心に溢れている。

6北斎自画像
4: 二人の武士が着ている打裂羽織(ブッサキバオリ)が派手過ぎる。主持ちの武士は通常,『武士の乗馬』にあるような地味な服装をしていたはずだ。本作品ではまるで歌舞伎役者のような服装をしており,国元に急を知らせる大事な役目を持つ使者とは思えない出で立ちだ。

5: その打裂羽織だが,中央の武士の赤い羽織を見ると,後が四つに裂けて翻っているように見える。しかし,打裂羽織の場合,後の切れ込みは一か所だけであり,通常なら最後尾の武士の羽織のように二つに裂ける。だから,これもあり得ない。

6: 画面に正円を入れるためだろうか,武士たちは笠を無理な形で被らされている。そのため,彼らは斜め前下を向いて馬を走らせている。これなら,笠は風に飛ばされてしまうだろう。『武士の乗馬』では,武士は笠をしっかり頭の真上に被っている。

7: 北斎の新発想と思われるものに,霞の使い方がある。白い雲のようなものは霞だ。日本画ではすやり霞といって画面の転換や遠近を無視させる表現に大胆に用いられる。その白い霞が最後尾の武士の姿を鮮やかに浮かび上がらせている。

8: 中央の武士の手綱が霞と結合している。さらに,霞を体の後方に引いていている。これらによって疾走感が強調された表現になっている。まるで現在の漫画家が使う手法だ。

9: 『富嶽三十六景』にはすやり霞が多用されている。すやり霞の使用についても北斎は多様な趣向を凝らしている。「波」でも述べたが,ここにも凄まじいまでの創意工夫へのこだわりがある。北斎は同じ描き方をするのがどうしても嫌だったのだ。

10: 街道中央に松が枝を伸ばしている。枝の下方に富士がある。北斎は,いわばこの松の下の富士構図を特に愛したようで,松が出てくる10作品中7作品でこの構造を用いている。また,松の枝葉の輪郭をなぞる線を引くと,『神奈川沖浪裏』の大波waveが現れる(線の引き方には別のものがあるが,それは波形が小さいのでこちらを例にとった)。さらに右の木の樹冠や土手に線を伸ばすと波のうねりが見えてくる。これも一応松と波と富士構図と呼んでおくが,この構造が先ほどの松の下の富士構図”7作品中6作にある。北斎が意図的に用いた構図だと言える。

7隅田川関屋の里松波構造
 

このように,北斎はありえない姿態の馬を描き,武士をからかい,新しい手法を試みながら,一見すると違和感のない緊張した美しい画面をつくっている。

 

 

(2) 相州江の嶌(そうしゅうえのしま)

干潮時,緑に包まれた江の島に砂洲がつながって,行楽客が歩いて渡っている。水の煌めく様子が点描で描かれていて,美しく旅情あふれる光景だ。

8相州江の嶌1
1: 本作品中,江の島の入り口に大きな緑色の青銅製燈籠が2つ立っている。日野原氏によると,江の島入り口に立っていたのは,1821年に再建された青銅製鳥居だ。『富嶽三十六景』が版行されたのが1831年から1834年のことだから,ここに燈籠があるはずがない。日野原氏は,北斎が間違えたのか,あえて鳥居をとりはずしたのかといっている。鳥居を描いても画の構成美を大きく損なうことはないだろうから,前述来の北斎の行状からみて,あえて彼は描き変えたのだ。

2: 古い歴史をもち人々の信仰を集めていた江の島神社の鳥居を燈籠に変えるのは,その当時の常識から見ても不敬・神の軽視にあたるだろう。ここに,私は北斎の諧謔精神というより反骨の気概を感じる。北斎の画には歌麿のものと違って社会批判の画が少ないが,『富嶽三十六景』シリーズ中には,鋭くはないものの社会批判の作品がいくつか含まれている。

3: 江の島へと砂洲が伸びて繋がっているのだが,砂洲と海との境目は入り組み白波を立てている。これでは砂浜というより磯のようだ。二代目歌川広重の『相州七里が濱江之嶋金亀山遠景の図』では,この箇所が滑らかな曲線の砂洲に描かれている。だから,北斎は故意に砂洲を磯にして描いたのではないか。

4: 画面右に舟があるが,4本の線が見える。垂直に立っているのが帆柱であり,あとの3本は帆綱になる。2本は前後に張られていて,1本が左舷についている。実際には,帆綱は前後の2本あるだけで,左右にはないはずだ。帆柱の左右に帆綱があると,邪魔になって帆の操作がうまくいかないからだ。北斎自身,『武陽佃島』のは舟には2本の綱しかつけていない。

5: 三重塔(現在はない)より高い木が後方にある。木が丘の上にあったとしても巨大過ぎる。北斎は他の作品でもしばしば巨木を遠方に描いている。

6: すやり霞が下部に漂っている。版画の刷りによっては,霞は薄茶色をして細かな点が打たれており,砂浜のようにみえる。他の作品には見られない新しい意匠だ。すやり霞はまるで描かなかった砂洲のようだ。

7: 波しぶきが点描で表現されている。島の周りの磯でも磯のような砂洲でも途切れなく波しぶきが立っている。磯で波しぶきが立つのは波が寄せる時で,引くときには波しぶきはあまり立たないはず。すると,本作品の江の島には打ち寄せる波だけしかないことになる。

8: その点描の波は美しい。しぶきを上げるところは藍色の点で,手前の海は空色の地に白の点を打っている。斬新だと思う。

9: 後方にある木々の描き方が絶妙だ。薄い黄緑の地に暗緑色の点描をしている。点の大きさ,形,点というより短い太めの線(これは中国のお手本画集『芥子園画伝』にある),濃淡などを描き分けて,何種類かの広葉樹・松・杉を表現している。点描による木々の葉の煌めきが美しい。

10: 江の島にある建物の描写に変なところが多い。最前列左端の建物だが,屋根の線がくの字の曲がらずに直線になっている。最前列右端の建物は屋根の最上部(大棟)の長さが下端の長さより短く,一階の床の辺が大棟の長さになるのだが,そうはなっていない。最前列に青い三角屋根の建物があるが屋根の左右の傾きが異なる。

大嘘と小嘘をつきながら,北斎は斬新な趣向を試み,面白味を加えてはいても美しい印象的な画に仕上げている。

 

 

どうでしょう?変ではないですか?

では,これから私は『富嶽三十六景』の作品の個々について芸術鑑賞風ではなく,私が見つけた変なところ・面白いところ・感心するところ等を指摘していきます。江戸庶民がしたように(と私が想像しているのですが),読者のみなさんも変なところを探してみたらいかがですか。楽しんでもらえるかもしれません。私自身,今でも新しい変なところを発見しています。