北斎は『富嶽三十六景』のいくつかの作品中に,龍に似た雲(龍雲と呼ぶ)や大入道やモンスターに似た雲と霞を描いている。潜在する龍(『北斎 煌めく嘘 異界を描く(8)』)・龍雲・大入道・モンスターが登場する作品は,どれも非現実的であり,空想の異界を想起させる。

 

 

(3-2)龍雲がわく(前編)

 

 (26) 遠江山中(とおとうみさんちゅう)

 

遠江とあるから静岡県西部だが,本作品の描かれた正確な地点はわかっていない。

木挽き(コビキ)職人が二人,巨大な角材を木挽きしている。彼方に富士が見える(図1)。

26.1遠江山中
          図1

 

1: たき火をしている人物がいる。たき火の黒煙がいくつもの小さな渦を巻いて湧き上がっている。黒煙は角材を越えて銀色の煙に変わる。煙に応えるかのように富士を帯状に取り巻く雲がかかる。しかし,このような形の雲は実在しない。

図2は北斎の最晩年作『富士越龍図フジコシノリュウズ』である。龍が現れて天に昇っている。龍が従えている雲の形状は,細長く富士をくねりながら巻くようにかかること,でこぼこしていること,上方先端が流れて霞むように細くなっていることなど,本作品の雲とよく似ている。

26.2富士超龍
                                     図2

だから,雲は北斎にとっては龍の存在を表す雲(龍雲)であると考えられる。本作品1つだけで推論しているのではなく,『富嶽三十六景』46作品中3作品に龍雲があり,それらの作品は他と違う雰囲気にあふれているという共通点がある。どれもが存在感はあるが現実味がない,別世界感が強いのだ。想像が過ぎるとお考えの読者もおられようが,その異界感の実例を挙げていこう。

2: 木挽きが大きな鋸(=大鋸オガ)をつかって巨大角材を木挽きしている。一人は角材の上に乗って何の支えもなく作業している。しかしこれでは足を踏ん張れないから力が入らない。立てかけられた角材の角度も急だ。姿勢からみて木挽きは難しく危険だ。今日に伝わる伝統的な木挽き作業を見ると,木材を本作品のように急角度に立てかけることはなく,横に寝かせて挽いていることが多いようだ。だから材木の上に乗ることはない。

3: 下にいる木挽きの体勢にはかわいそうになるくらい無理がある。

4: そもそも,斜めの態勢の巨大角材を二人の木挽きが上下から同時に木挽きできるのだろうか。特に上の木挽きは下の木挽きのたてる振動で角材が揺れるだろうから苦労するに違いない。

5: 角材の木挽きの仕方だが,左端の部分が長く挽き終わっている,当然挽き終わった板部分は不安定になって,振動で揺れたりする。上の木挽きはその板の隣を挽いている最中だ。大丈夫なのだろうか。

6: 『本所立川』の材木職人も大きな角材を木挽きしている。そこでは挽き終わったところに楔をかまし,板が閉じて鋸を押さえつけるのを防いでいる(図3)。しかし,本作品では楔を打っていない。鋸と板の摩擦は極めて大きくなるため,挽けなくなるのではないか。

26.3本所立川木挽き楔

                    図3

7: 巨大角材を支える丸太組が細く,幅が狭く,いかにも頼りない。いつ倒壊してもおかしくない。その丸太組だが,角材を支える位置が変だ(図4)。

26.4遠江山中材木支え
                    図4

図では赤い破線で角材の見えない縁を示した。丸太は中ほどを縄で結ばれているが,上の丸太先端には縄が張られているようではない。では丸太先端に角材を乗せているかといえば,違う。黄色い線は見えない部位の丸太を伸ばしたものだ。右側の丸太は角材から外れている。

8: 考えてみると,この奥深い山中に丸太を巨大な角材に製材し,それを不安定な台に乗せて薄板に切り出すなどということができたのだろうか?そもそもする必要があったのだろうか?丸太か角材のまま山中から運び出し,消費地で板にすればいいのだ(→木曽では木材を組んで長い滑り台のようにしたものを設置し,その上に水を流して切り出した丸太を滑らせながら運んだ。それらの丸太を鉄砲堰というダムに集め,丸太が十分に集まったら堰を切って一気に丸太を下流に押し流した。川幅が広くなると筏を組んで流した)。木挽きして板の形で出荷すると,どうしても運搬に手間暇がかかるだろうし,板も傷つきやすいだろう。

9: 後刷りでは赤色の着色がされている。男たちの顔はまるで赤鬼のようだ(図5)。

26.5遠江山中赤鬼
                  図5

 赤鬼であれば巨大角材の木挽きが可能かと,少し納得できる。赤鬼の方が異界感はより強く出るが,作品としては藍色の方が美しい。

北斎の『富嶽百景』にも『遠江山中の不二』がある。そこでは男たちがアクロバティックな人間離れした動作で木を伐採している(図6)。“山の民“は”里の民“である江戸庶民にとっては異なる世界に住む者と考えられていたから,本作品のような木挽きも可能とされたのかと思う。

26.6遠江山中富岳百景
                図6

10: たき火をしている人物がいる。たき火の煙が湧き上がっていて,富士の龍雲と対応しているかのようだ。この人物,解説書は子どもだとしているが子どもにしては体格がいい。この人物とよく似た子供が『富嶽百景』の『蘆中筏の不二』に描かれている(図7)。こちらはずんぐりしていて腕も細いからいかにも子どもっぽい。

26.7富岳百景葦中筏の不二

               図7

それに対して本作品の人物は大きいだけでなく,髪は北斎が学んだ狩野派が描く『寒山拾得(カンザンジットク)』(→唐の時代,寺の食事係だった拾得は幽山に住む寒山に残飯を与えていた)の髪に似ている。図8は北斎の『寒山拾得』である。本作品の焚火の人物に似ていないだろうか。お決まりのごとく彼らは枯葉を掃き集めている。枯葉は焚火に連想がつながる。ピタリだ。この人物はおそらく寒山拾得のうちの寒山を模したのだろう。

26.80北斎寒山拾得すみだ北斎美術館
                図8

 寒山拾得の二人は仙人ではないが,巷間の人物像は汚れた世間と隔絶した奇行の詩僧であり,神秘性に富む。

11: 龍雲が焚火の煙と接して,交差するように描かれている。北斎は富士の稜線を長く伸ばして描くことが多いが,本作品では龍雲と焚火の煙と奇怪な形の樹木を右稜線がある場所に配置して,ギリギリのところで稜線を見えないようにしている。北斎の細工だ。

12: 寒山らしい人物の頭の左上と前に富士の冠雪が描かれている。前の冠雪が麓近くだというのに広い範囲にあるのは焚火の黒煙を際立たせるためのものだ。しかし,頭の左上の冠雪は上部とのつながりが切れていて,下部にだけ雪が残っているのはおかしい。

13: 赤子を背負う女が右手を伸ばしている。その人差し指が龍雲を指さしているようだ。誰に対して指示しているのだろうか。

14: 女の基本形は,体をくの字に曲げる角度・足の開き方・肩の角度・左手の位置などが『駿州江尻』の女のそれと同じだ(図9)。江尻の女の右袂が藍色の部位だとすると,右手はそこにあることになる。すると右手も両者で同じ位置になる。

26.81江尻と山中の女
            図9

 

15: 藪のシルエットがモンスターのそれに見える(図10赤矢印)。


26.90遠江山中モンスター
                    図10

 ダ・ヴィンチは「レオナルド・ダ・ヴィンチの手記」の中で,画を学ぶ者は砂混じりの汚れた壁に山川や野や木々などだけでなく,顔や人物が動いている様など想像できる限りのものを見ることができると述べている。極めてシュールなボッティチェリ(画家のシュールな傾向については『ボッティチェリとフィリッポリッピとシュールレアリスム』,『ボッティチェリ展「聖母子」と「東方三博士の礼拝」(鑑賞)』で述べた)も壁に湿ったスポンジをぶつけるとそこにあらゆる風景が現れるといっている。まあ,そんなものだろう。ここでも藪の形がさまざまなものを連想させる。読者の中にはモンスターに見えないという方もおられようが,ぜひ一度探してみてほしい。

16: 左下に藁がけになったトンネル状の小屋のような物がある。これが何かわからない。前述10の人物がたき火をしている丘の曲面がすっぽり小屋の中に納まっている。丘を入れるほど大きな掘っ立て小屋などありえない。

17: 富士の稜線が『御厩川岸より両国橋夕陽見』の渡し船の曲線とほぼ一致する(図11)。


26.91駿州山中富士と渡し船
                図11

 北斎の想像世界の深山中で,木挽きが巨大な角材を挽いている。たき火を焚いて黒煙を出すと,それは銀色の煙に変わって富士に龍を呼ぶ。

本作品は「江戸時代の木挽きのようす」として広く認知されている。これは実際の木挽きの姿ではない(と私は考えている)が,北斎が描くと本物になってしまった。困ったものだ。

多くの人たちは北斎の偉大性から彼が嘘や冗談で絵を描くわけがないと信じ込んでいる向きがあるようだ。私は現段階で700を超える嘘冗談謎と煌めくような意匠を見つけてきた。当然これまでにもいくつかは見つけられてきたものだろうが,そのほとんどが「偉大な北斎に限ってこんなことするはずがない」として積極的に無視されてきていたし,今も無視され続けている。その多くは常識的に物理的に時代考証的に間違っているものだ。だから実在することを認める必要がある。1作品につき平均15以上の間違いがあるということは,北斎が意図的にやったとしか考えられないではないか。その理由については「北斎-富士を越えて」2/2 なぜ『富嶽三十六景』のような風景画が売れたのか?』で述べてあるが,簡単に言えば,美しい画の中でどれほどのことができるかと北斎自身が面白がっていること,見るものを面白がらせようとしていることにあると考えている。

 

 

 (27) 武陽佃嶌(ぶようつくだしま)

 

佃島はもともと江戸の隅田川河口の干潟だった場所を埋め立ててつくられた島だった。左隣の石川島とともに周囲は漁舟や荷舟で賑わっている(図12)。

27.1武陽佃島
     図12

 

1: 富士の上に龍雲がかかっている。龍雲は富士に密着してくねり,尾が細くなびいている。

2: 手前の舟と中段の佃島・上段の富士の遠景が異なる遠近法の空間にあって,手前の舟は後方の景色とは別の空間にある。だから,遠近法の処理で著しく破綻しているといった解説がされている。思うに,破綻しているのではなく,破綻させている。北斎は前景と後景で遠近法を変えているというより,描く対象によって遠近法を変えている。だから,手前に舟が7艘あって,一番後の舟(図13の⑮)が島の突き出し部より後方にあることが可能になる。

27.3武陽佃島番号
            図13

3:  右岸に林がある(②)。そこは賑わう江戸の街のはずなのだが,江戸らしい密な家並みがない。江戸ではない異空間だ。

4: 手前の舟に左舷の舟縁に立ち,左舷に竿をさす舟子がいる(⑧)。そもそも左舷から右舷に竿を伸ばして流れにさせるわけがない。ありえない体勢だ。

5: 同じ舟で右舷にいる舟子(⑨)も竿をさして舟を進めている。この舟子,進行方向に対して後ろ向きになって右舷に立っているから,船を進めるには舟の後方に向かって歩きながら竿を押すことになる。私のつたない竿さし経験からするとこれは変だ。前方が見えないから操船が安定しない。舟子は前向きになって,前に歩きながら竿を押すはずだ。

6: ふざけた舟にしては,『富嶽三十六景』の舟の中でこの舟には唯一舵がある(⑩)。

7: 一番右下の舟では男が櫓をパドルのようにして漕いでいる(⑥)。このような漕ぎ方は櫓ではできないし,櫂だとしても違う。少なくても“しない”。

8: 右下端の舟の船尾を見ると,左右で形が違う。右には縦に棒が1本入っている(⑤)。修理したのだろうか。

9: 前述4の大きな舟だが,船尾に舵があり,その上にΠ字状の棒を組んだ構造がある(⑪)。上の棒が右と違って左の手すりについていない。Π字状構造の中央に舵があるから,舵は左舷にずれてついていることになる。あり得ない。

10: 左から二番目の舟で,船べりが船腹をなす一枚板の上端だけになっている(⑬)。他の和船は補強のために別の板を添えて船べりをつくっている。

11: 一番左端の舟では4人が左舷で釣りをしている(⑭)。小型の舟で一方の舷に片寄って釣るのは勧められない。

12: その舟では船頭が櫓を持ったまま釣りをしているように見える(⑮)。

13: 左から二番目の舟では舳先に男が乗っている(⑫)。小型の舟では前部が沈むので勧められない。

14: 彼方の陸地には森林が描かれているのだが,一部では森林らしくない不規則な凸凹に表現されていて崩壊した岩山のようだ(①)。なぜ素直に森林らしく規則的に尖った三角形を並べなかったのだろうか。

15: 佃島の手前の林(⑲)がある島は石川島だ。そこにある船の帆柱が異様に高い(⑰⑱)。

16: 石川島に停泊する船の帆柱の高さが不揃いだ(⑰⑱)。つまり船の大きさが違う。和船にそんなにたくさんの種類はなかっただろう。14は斎藤長秋『江戸名所図会 佃島其の二』(国立国会図書館)である。帆船が多く航行しているがどれも大きさが同じだ。

27.6斎藤長秋江戸名所図会佃島其の二国会図書館
                図14

17: 石川島の舟の中には帆綱無しの帆柱がある。帆柱は安定して立たないのではないか(⑱)。

18: 佃島の右に5艘の小型舟がかたまって描かれている。帆柱のようなものが舟の中央部でなく先端や後方に立っている(③)。これは何だろうか。

19: 水平線の彼方にも港があるようだ。水平線だとすると5㎞離れているとして船の帆柱が高すぎる(⑯)。

20: 例の小柄で月代姿をした座敷童(ザシキワラシ)ならぬ舟童(フナワラシ)が乗っている舟が何艘かある(④⑬)(『上総の海路』)。

21: 小ぶりだが,舟が立てる波がよい(⑦)。

22: 櫓と舳先と笠を介してつながっている舟が5艘ある。図15には赤丸で結合部を示した。接点はどれもぎりぎりつながっていて,北斎の作為性を示す。

27.4武陽佃島船結合富士を指す
             図15

この5艘の乗組員7人を“適当に選んで”黒色線でつなぐと,北斗七星の形に似たものになる(図の黒線)。さらに,右上の舟の二人の頭部を結ぶと富士をさす(赤矢印)。しかも二人の頭部の間隔の5倍の位置に富士があることから,富士を北極星としてみることができる。他の舟の乗員二人の頭部を結んでも富士をさす(黄矢印,緑矢印,紫矢印)。また,一番右端になる乗員の頭部を結ぶと富士の左裾野の山に当たる(白矢印)。これだけ揃うと北斎の作為を感じるしかない。

23: 当時石川島には「人足寄せ場」があってたくさんの家がたっていた。本作品では林が広く(⑲),ランドマークの住吉明神宮が描かれていない。また,図14の『江戸名所図会 佃島其の二』には帆船が多く航行しているが,本作品では多くの帆船は港に停泊していて,行き交うのは手漕ぎの舟ばかりだ。それにしても,そもそも石川島に大型帆船を多数停泊させるような商業施設はなかったのではないか。

24: 陸と海の境の線と水平線が一直線につながってきれいに湾曲している。

 

北斎が空間を自在に扱っている。