カテゴリ: 吉野・熊野

熊野旅行記

2011年冬,熊野を旅して,那智の滝と新宮の神倉神社と花の窟神社を訪ねた。


那智の滝と信仰

私が那智の滝を訪れたのは1月で,滝の水量が少ない時期だった。那智の滝は高さ133mで日本一の落差がある。水量が少なくても間近で見ると迫力があり,線を引く水と岩壁に当たる水しぶきが美しい。水に削られた岩壁にはたくさんの小さな仏が彫りだされていて,信心深い者にはそれらの仏の中から,自分に似たものを見つけることができるという言い伝えを聞いた覚えがある。それほど厳粛な滝の姿といえるだろう。それはそれでいいのだが,那智勝浦町のホームページには「太古から神として崇められ」ていたとあるから,仏教伝来以前から古代の人々の崇拝の対象であったことになる。では,古代人は滝に仏を見るのではなく,何に惹きつけられたのだろうか。私は,古代人がそこに荒々しい生殖器の似姿を見,畏怖を覚えていたのだと考える。
 岩盤の硬さに違いがあるのだろうか,滝の中央部が数十メートル柱状に前にせり出している。その柱の頂に水が落下して左右に分断されている。この柱が直立していて男根に見える。

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時の流れを変えて滝の水を逆流させれば,男根の先端から水が吹きあげていることになるので,男根は果て無く射精を続けていることになる。その男根の周りの岩は黒く水に濡れて,女陰のようだ。女陰を枯草が縁どる様は,陰毛にたとえることができる。さらに,岩盤の削られた岩は小さな仏と見るより,たくさんの小さな男根と見て取ることができる。

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すると,仏の頭部は亀頭になる。それらがほとばしり,精液にまみれている姿こそ,猛々しく力強く,豊穣を具現している。
 浸食によって滝は古代から現代に至るまで日々後退し続けているのだから,古代の滝の姿と現代の姿が同じことはないだろう。ここで,鎌倉時代に制作されたと考えられる根津美術館蔵国宝「那智瀧図」を見ると,滝の水量は多く,岩肌が露出していない。水は細い美しい帯となって落下しているが,滝の下部1/4ほどで水幅が広がっている。これは下部に岩が突き出ているからではないか。すると,水量が少なくなる時期には,当時も現代のような岩の露出する姿になったのではないか。
こういうわけで,古代から,那智の滝は荒々しく豊穣な交合の姿を現すものであり,人々はその姿を畏怖し,崇拝したのではないだろうかと思うのだ。



神倉神社ゴトビキ岩

新宮市に神倉山があって,そこにご神体の巨岩ゴトビキ岩をまつった神倉神社がある。ゴトビキとは新宮の方言でヒキガエルのことで,巨石がヒキガエルに似ていたので名付けられたという。神倉神社は熊野速玉大社(クマノハヤタマタイシャ)の摂社にあたる。ゴトビキ岩までは急峻な538段の石段を登っていく。ゴトビキ岩の他にもいくつか巨石があって,ここは熊野大神が降臨された聖地とされる。弥生時代の銅鐸の破片が発見されていることから,古くから崇拝・信仰の対象だったようだ。
 素直に見ると,私にはこの巨岩が男根に見える。先端はヒキガエルの顔というより,亀頭そのものだろう。巨大な男根の上ならわかるが,そもそもヒキガエルの上に大神が降臨するだろうか。巨岩の裏に回ると,岩は尻の形をしていて,割れ目があった。荒々しい生殖器として,この巨岩が信仰の対象となったのだと思った。

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花の窟神社(熊野旅行記3/3)

 伊邪那美(イザナミ)尊は,火神を出産されたとき,陰部を焼かれたことが原因で亡くなった。御遺体は紀伊之国熊野の有田村に葬られ,村人たちが花を供えて祭ったと日本書紀にある。その場所が花の窟神社(ハナノイワヤジンジャ)となった。神社の御神体は高さ45mの岩盤で,ここは日本最古の神社だといわれている。
 私はJR熊野駅から徒歩で花の窟神社に向かった。参道を入ると目の前に岩盤がそそり立つ広場に出た。この岩盤がご神体だ。社殿はない。岩盤を見上げると,上の方に窪みのある岩が突き出ている。岩盤には綱がかかっているが,これはご神体と境内の松の御神木を結ぶものだ。毎年「御綱掛け神事」が執り行われるそうだ。岩盤はわずかに円みを帯びて膨らみ,女神の腹部を思わせる。

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最下部には,女陰を想像させる割れ目があって,その前に御幣が飾られている。

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しかし,下から眺め上げるだけでは,なぜこの岩盤が伊邪那美尊に見立てられたのかよくわからなかった。参拝を終えて,七里御浜側にあるバス停に向かった。振り返ると,岩盤の上の岩が泣いている顔に見えた。これでつながった。熊野の民にとって,この岩は,神々の母神の御姿そのものなのだ。巨大で力強く,怖ろしく,哀しく,やがて人は御前に立ち,慈悲を請わねばならないその女神に。

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吉野桜と金峯山寺蔵王権現
2015年4月11日,吉野に行ってきた。桜を観てから,秘仏蔵王権現を拝観するという贅沢な行程をとった。
あいにくの曇り空だったが,それでも蔵王堂周辺の土産物店が並ぶ通りから中千本までの道は,観光客が途切れないほどに賑わっていた。上千本の展望台から眺めると,下千本のサクラは花を落としているが,残った顎が紅色に樹冠を彩っていた。ヤマザクラにも多くの品種があるようで,中千本あたりには白い花,薄い紅色の花と木ごとに色あいを変えて咲いていた。

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私は,自然界の美には階層性があると考えている。これを吉野の景色に当てはめると,サクラの花1つ1つが美しく,枝につくサクラの花が塊となって美しく,1本のサクラの木が美しく,尾根の斜面を飾るサクラの林が美しい。その斜面で,サクラ林は,柔らかな新緑の木々とスギやヒノキなどの濃い常緑の木々とともに対比し合って,美しい風景をつくる。それぞれの階層の中では,サクラの木の中にも色彩のバラエティーがあり,また新緑と常緑とで緑葉でも色彩にバラエティーがあり,さらに,それぞれの色にも光の当たり方でできる陰陽があって,それらが全体に調和して美しい。晴れていれば,空と青とサクラの薄紅と木の葉の緑が対比して,いっそう美しいことだろう。また,1本の木には,花だけでなく枝があり幹があって,それぞれの太さの線を引いている。線は途切れ途切れになっており,サクラの薄紅色の木という視覚対象に変化と強調を与える。それもまた全体に調和して美しい。

蔵王堂に入る。拝観者の「わー」というため息のような声が漏れる。
蔵王堂には3尊の秘仏がおられる。拝観者が多いため,拝観者はそれぞれの仏の前に列になって座り,順に前につめて進む。左の弥勒菩薩像に参拝し終えたら,中央の釈迦如来像の前に移動し,また前につめていき,最後に右尊の千手観音像に参拝するようになっている。
おん前に進み,座して仏像を仰ぎ見る。釈迦如来像は7メートルを超える高さがあり,厨子の天井を突き破りそうだ。顔を傾けておられるので,凝視する視線を感じる。もし夜,灯明が燈されている蔵王堂に扉を開けて一人で入ることがあるとすれば,私にはとてもお顔を見上げることはできないだろう。目を上げた途端顔を伏せ,そのまま後ずさりして退出することになるに違いない。日中に多数の参拝者とお寺の人達がいる堂内にあっても,それほどまでの迫力である。降魔の力に,小人は御前にてただただ畏怖するのだ。
秘像を拝す。3尊の体が青い。
(蔵王権現像は中国経由ではない日本古来の様式だと言われているようだ。しかし,その足を上げる
姿と青い体色から,もともとはヒンズー教の破壊神であるシバ神に由来するのではないかと思う。
シバ神は青い体をされた破壊神であるが,ネパールでは慈悲深い神として崇められている。蔵王権
現と同じく,シバ神は片足を上げていて,これは片足立ちの修行と,踊りの王としてのナタラー
ジャの姿に通じる。ナタラージャは踊ることで宇宙の均衡を保っているという。写真はネパールの
ナタラージャで,体色は金色だ。)

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特に驚いたのは,三尊の顔の青さだった。桃山時代から色落ちしていないのではないかと思うほど鮮やかだった。なめらかな曲線からなる豊かな頬には艶がある。憤怒の様相に見開かれた目は,瞳が青,光彩が金色,白目の部分が緑がかった青で,目を合わすと凄まじい力を感じる。口はかっと開かれ,牙が反り返って鼻袋に達する。銀色に見える頭髪は逆立って後ろになびく。火炎光背は赤く,青の対比が際立つ。体色とは違って,下半身を覆う衣の模様には色落ちがあるが,衣は力強く翻って,動きが感じられる。
体全体に対してお顔が大きて胴が小さい。また,腕が太く,手が大きい。このようなことからも,あの迫力が生み出されているのだと感じた。
 吉野では,カエデの木を多く見かけた。きっと,秋の御開帳の頃も,吉野は美しいことだろう。

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