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2018年7月末,東京国立博物館に「縄文」特別展を訪ねた。
その後,東洋館の「明清の山水画」展と科学博物館の特別展「昆虫」に立ち寄ったので,とても疲れた。



(1) 縄文土器

◎ 微隆起線文土器 縄文草創期 青森県六ケ所村出土 高さ30.3㎝:
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             (カタログより)  
底が尖った尖底の土器。
表面には微隆起線文様が施されている。これは指やへら等で粘土を線状に盛り上げた模様。
全体の形を見ると,口縁から胴部を経て底部に至るまでS字状にカーブし,さらに底部に下りるにしたがって張りつめた乳房形を描くように引き締まっていく。その形がよい。
展示されている縄文土器を見ていると,左右相称のものがないように思える。この微隆起線文土器,形は左右相称なのだが,微隆起線のうねり具合がわずかずつ異なる。
そして,細い線が波打つことで土器に緊張感のある表情を与え,波動の振幅がわずかなことから調和が生れている。
また,口縁部直下の5本の隆起線には,所々,短周期の大きな波形が描かれていて,意匠的だ。
これまで,縄文は土器の表面に縄を押し付けながら転がせてつけたものと思い込んでいた。それはそれでよい味わいを出す場合もあるだろうが,この土器はそのようなものではない。
明らかに創作意欲に満ちた卓越した製作者がいて,これを作り上げたのだと思う。
カタログの解説には「縄文土器の原点でありながら,すでに1万年に及ぶ縄文美の器の到達点がここにある」とある。
まったく同感だ。



◎ 176 獣面把手付深鉢形土器 縄文前期 長野県小海出土 高さ58㎝:
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             (カタログより) 
口縁部に小さな猪の飾りがついているが,小さすぎて土器の名前にある把手には見えない。
口縁部には粘土紐を貼り付けた渦巻模様がつく。
胴部には,上記微隆起線文土器のような,粘土紐を貼り付けて隆起させた線模様がある。
一本と二本・三本の束になった隆起線は上下に不規則に配置されており,意匠性に富む。
隆起線には細かな切れ込みが斜めに施されているため,線は縄目のように見える。
その切れ込みがあまりに鋭く繊細なのに驚く。なぜここまでするのかというより,なぜここまでできるのかと呆然となった。
隆起線の間の空間にもへらが入って,模様が刻まれている。



◎ 26 関山式土器 縄文前期 千葉県松戸市出土: 
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             (カタログより) 
一つの展示台に10以上の土器が並べられていて見る者を圧倒する。
多様な文様はどれも繊細で,ていねいに心を込めて施されているのが印象的だ。
特に,写真左上の土器,口縁部下の模様は,カタログの解説にあるように,「さながら機織りから生み出された織物を思わせる・・・,縄文人の卓越した表現感覚に驚嘆させられる」。



◎ 6 漆塗注口土器 縄文後期 北海道八雲町出土 31.2㎝:
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             (カタログより) 
赤漆塗りで,土器ではなく木製かと思ってしまう。
黒い部分があるのは,赤漆が剥げて下塗りにした黒漆が見えるのだ。
つまり,漆塗のいくつかの行程が既にこの時代に確立されていたわけだ。
力強い線模様が土器表面に大きくうねっている。

カタログ解説にこの土器が祭器として用いられたらしいとある。
祭器としてみると,この土器は人体を模している。
上部には4本の太い線が1点で交わっている。これが顔面をつくっている。
注ぎ口を真正面にすると,左右の小さな把手が耳に,上部の突起が髷に,注ぎ口は男根に見える。



◎ 30重文 深鉢型土器 山梨県甲州市出土 縄文中期 72㎝:
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             (カタログより) 
胴の正面にある7本の隆起線が束になって左右対称にとぐろを巻く。
巻いたところが蛇の頭だとすると,双頭の蛇だ。
しかし,胴部が女性の顔に見えないだろうか。
双頭の蛇の左右の頭が目。中央には捻じり紐が垂直に伸びているが,これが鼻筋。画像では,壺の左右に波型の模様が垂れさがっているが,これがもみあげの毛。
また,中央の捻じり紐,よく見ると両手を挙げた人物が連なっているようだ。
この壺も意匠性に富み,どう考えても素人の作品ではない。




(2) 土偶

◎ 81国宝 縄文の女神 縄文中期 山形県舟形町出土 45㎝:
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             (カタログより) 
最大の土偶だという。
抽象的で非常に洗練された造形だ。

正面から見る。
顔に目鼻がないのに,なぜか見る者に強い印象を及ぼす。
乳房・腹の膨らみ・女陰部が強調されていないため,上品に見える。
体型と両足のズボンの襞?は左右相称なのだが,腰に腰布かスカートのようなものをつけていて,その模様が左右相称ではない。

側面から見る。
幻想的な肉感性をもち,エロチックである。
幻想的というのは,上半身があまりに細く,清楚なのに対して,下半身は,臀部が大きく肉感的で足が太く安定している。上・下半身が不釣り合いなのだが,破綻することなく斬新な造形になっているからだ。




◎ 80国宝 縄文のビーナス 縄文中期 長野県茅野市出土 27㎝:
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             (カタログより) 
私が行った時は「縄文のビーナス」の展示期間ではなかった。
しかし,私は「縄文のビーナス」を昨年京都国立博物館の「国宝展」で観ていて,鑑賞記をすでに『京都国立博物館120周年記念特別展覧会国宝2/2: 縄文のビーナスと雪舟「慧可断碑図」「天橋立図」(鑑賞)』としてのせている。
どんなことを書いたかというと,このビーナス像は三通りの見方ができるということだ。
一つ目は,多くの人がかわいいとする見方で,小さな顔・乳首・短くデフォルメされた両腕・突き出した腹部と臍・大きな腰部・太い脚からなる。
二つ目は,映像を見るとわかるが,上記の乳首を目と見ることができる。すると,両腕は耳に,腹部は顔下部に,腰部は両腕になる。極めてグロテスクだ。
三つ目は,頭部は1つ目と同じであるが,腰部としたところに女陰部をみる。そして,腹部としたところを素直に男根とみる。すると,両性具有の双頭像となる。さらにグロテスクだ。

このビーナス像は,茅野市の棚畑遺跡から出土した物で,おそらく数百年間集落で大切にされていたという。そして破壊されることなく土中に埋められたから,現在の私たちが目にすることができる。
想像を膨らます。
像がかわいいというだけで長期間にわたって集落が大切にするだろうか。
ありえないだろう。
維持されたのはビーナス像に住民が納得する何らかの効能があったからではないか。効能とは何かというと,住民の願いをかなえたことだろう。つまり,力があったのだ。その力は畏怖すべきものであった。
上記2つ目,3つ目の見方はこの考え方に適合する。



◎ 83国宝 合掌土偶: 縄文後期(前2000年~前1000年) 八戸市出土 高さ19.8㎝:
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             (カタログより) 
「縄文人の祈りの姿そのもの」 とカタログ解説にある。
しかし,手を組んで合わせているのが現在の祈りの姿勢に似ているからといって,これは祈りの姿勢なのだろうか。
そうとは限らない。思い込みを断定すれば,言葉が独り歩きする。
孔子のいうように,物事を始めるには 「必也正名乎: 必ずや,名を正さんか」 が必要だろう。
現在の祈りの姿勢を当てはめるとすれば,顔をあげているのは妙だ。
口を開いているのは,何か唱えているとでもいうだろうか。
民俗学的・考古学的比較検証が必要に思える。




(3) その他

◎ 9重文 尖頭器 旧石器時代末期から縄文草創期 前16000年~前10000年 長野県南箕輪村出土 最大25.1㎝:
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             (カタログより) 
尖頭器にするには,材料となる頁岩や黒曜石に石や鹿の角を打ち当てて,割って形を整えていく。
それだけで,どうしてこのように表情豊かな文様をもつ石器が生れるのか不思議でならない。
私がいう表情豊かな文様とは何かというと,尖頭器の割り跡表面に山と渓谷と人面が見えないだろうか。
飛躍的だが,例えると北宋の画家郭煕の『早春図』に描かれた怪奇な山々のようだ (怪奇な山々はその後明の時代まで様々な画家に引き継がれていく)。
つまり,尖頭器の風景には中国山水画で希求されたような神仙の住む山川の世界に共通するものがあるように私には思える。
その気になれば,尖頭器の模様に自分の好みの映像を探すことができるだろう。

もちろん尖頭器製作者は機能的な使いやすく長もちする石器を作ろうとしたのだろうが,機能性の追求だけではこのような文様が造れるとは思えない。
石の中に内在するものを,いかに美しく表出させるかという作者の意志を感じる。
まるで,彫刻家だ。



◎ 142重文 仮面 縄文晩期 北海道千歳市出土 17.9㎝:
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             (カタログより) 
カタログ解説には「縄文のデスマスクか」とある。
写実性を重視しており,表情は抑えられているが繊細な内面性の描写に優れている。
どちらかといえば平坦な顔で,鼻が小さく鼻筋が通っている。眉は半円形だ。これは弥生人の特徴なのだが,どうなっているのだろうか?




(4) 気になったもの

◎ 岡本太郎の「太陽の塔」の原点となるような作品がいくつもあった。
◎ 39重文 壺型土器土 縄文晩期 42㎝ 青森県十和田市出 42㎝:
雲形文が描かれていて,形よく,力強い。

◎ 79国宝 火焔型土器 新潟県十日町市出土 縄文中期 34.5㎝:
この特別展に展示されている作品の多くに,専門的であり高度な技量と革新的なものを創造しようとする意気込みを感じる。

◎ 90重文 板状土偶 青森県三内丸山遺跡出土 縄文中期 32㎝
◎ 96 ポーズ土偶 山梨県笛吹市出土 縄文中期 25.4㎝
◎ 99重文 土偶 青森県野辺地市出土 縄文後期 32㎝:
◎ 105重文 ハート形土偶 群馬県東吾妻町出土 縄文後期 30.3㎝
◎ 115重文 遮光土偶 縄文晩期 青森県つがる市出土 34.2㎝:
写真が教科書に載せられているので,「日本で最も有名な土偶」 とカタログ解説にある。
目が大きく,その下には嘴のようなものがある。
素直に見ると,これは鳥人間の系統に属するのではないかと思う(拙ブログ:「ラスコー洞窟壁画『井戸の場面』について 新知見をもとに考えたこと(改訂版)」で言及した)。

◎ 128 顔面付壺型土器 茨城県筑西市出土 弥生中期 68.4㎝:
中国仰韶文化(BC 7000年-BC 5000年)の人頭形器口彩陶瓶に似ている。

◎ 147重文 石棒 縄文中期~後期 東京都国立市出土 112.5㎝:
カタログ解説によれば,「男性器を模した棒状の祈りの石器。豊穣と繁栄を願って作られたと考えられる。土偶と同様に意図的に破壊されたり,被熱を受けた石棒が発見されることも多い。大型の石棒が破壊されずに残った例はとてもすくない」とある。
迫力があり,心を込めて丁寧につくられたのだろう,洗練されている。

◎ 154重文 人形装飾付有孔鍔付土器 縄文中期 山梨県南アルプス市出土 54.8㎝:
遊び?があって,面白い。

2018年5月,京都国立博物館の『池大雅展』を訪れた。ちょうど京都に行く機会があり時間をみつけることができたのだが,滞在時間は1時間しか取れなかった。
短時間の鑑賞でも思うことがある。大雅40代に入ってからの作品には中国文人画・日本画とは異なる独自の作風が見られる。



瓢鮎図
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            (カタログから)
 若い大雅の作品。線が柔らかく伸びやかだ。


重文 瀟湘勝概図屏風(ショウショウショウガイズビョウブ)6曲1雙
右(第一扇から第三扇)
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左(第四扇から第六扇)
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            (カタログから)
 中国湖南省洞庭湖の景勝(勝概),瀟湘八景が描かれている。大雅の自由な革新性が感じられる作品で,いろいろ見るところがあって面白い。

そのいろいろ:
 本作品では,6つの面に8つの景色が入っている。通常,八景は夕方の景がほとんどなのだが,本作品には雨・雪・強風以外に晴れの景もあれば,夕・夜だけでなく朝と昼の景があり,季節も秋冬だけでなく四季があるようで,全体として光に満ちた明るい作品になっている。
 第一扇は上部に夕照を下部には夜雨を描いている。青い点描で藪を,青い線で竹の茂みを描いていて巧みだ。
 中央部(第三扇と第四扇)に大木が点描と力強い線で描かれている。柳が芽吹き,その葉は黄色と青色で点描されている。点は柳の細長い葉には見えないのだが,風にそよぐ柔らかさを感じさせる。濃淡があり,陰影があり,点の集合は新たな色を生み出し,輝くようだ。中国山水画では重なり合う山の形が入道のように描かれていて不思議な雰囲気の世界を醸し出していることが多いが,本作品の柳の木々の枝ぶりと葉の付き方も人影に似せている。第四扇にある大木の樹冠の形は,私には天翔ける女性に見える。
 遠近法が定まっていない。第ニ扇の中央に浮かぶ小舟と漁師が手前の家屋より大きい。しかし,第五扇・第六扇では遠いものが小さく水平視(平遠法)で描かれている。
 その第五扇・第六扇だが,岩山と湖水面と遠くの雪山の位置関係・重なり具合に着目すると,第五扇の水面が第六扇の雪山より高くなっている。
 湖南省の洞庭湖近くに雪を抱く高山があるかどうか私は知らないが,大雅はあると思っていたのだろう。
 本作品の画料が1両だったというからそれも驚きだ。絵具代を引くと利益はどれほどだったのか心配になる。

 カタログ解説には「美しい淡彩による点描表現が印象的な作品」「『江戸時代の印象派』とも呼び得る,大雅のもっとも優れた代表作」とある。私も美しいとは思うが,本作品が代表作かというと疑問がある。なぜなら,この特別展では細かな点描の画が他に「魚楽図」しか展示されていないからだ。つまり,本作品は以降の作品に大きな影響を与えておらず,大雅もこの作風を発展させていない。


重文 漁楽図
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            (カタログから)
 大河40歳代後半の作品。
 上記『瀟湘勝概図屏風』と同様に,木の葉を細かな点描で,幹や人物は線描で,岩や山々は中国伝来の皴法(シュンホウ)で描かれている。構図はこれも中国伝来の三遠法に従っている。私が驚くのは,水墨のみの描写であるのに,この画に有彩色が見えることだ。目の錯覚であるが,美しい。


国宝 楼閣山水図屏風 6曲1雙
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            (カタログから)
 画像は6面のうち4面。40歳代の作品
急に大雅の画法が上達したような印象を受ける。
中国山水画には全面に何かが描かれている。山間に靄や雲をかけることもあるが,明代・清代になるとそれもなくなる。本作品には靄ではなく,日本的な何も描かれない空白の空間がある。かえってそれが楼閣や岩や樹木を際立たせている。
 樹木の幹と枝の線が力強い。葉は多様で,広葉と針葉が墨の濃淡,色彩,線の太さ・長さ,大きさの違う点描,円・楕円等で描き分けられている。そして,幹・枝・葉が合わさって,他の画には見られない木々の独特の雰囲気が伝わってくる。
 岩の描き方は中国的奇岩なのだが,皴法にこだわっておらず,奇怪さの薄い岩だ。
 総金地に赤・青・緑の着色があって山水と隠遁者を描いているのだが,抑制のきいた明るさがある。

 つまり,和風でどこか中途半端な中国風の山水画だと言える。江戸時代の京都にこのような画の需要があったのかと不思議に思う。


高野山の塔頭遍照光院の大広間を飾る襖絵十枚を総称して「山水人物図」という。
国宝 山水人物図襖の「山亭雅会図」
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            (カタログから)
 40歳代半ばの作品。カタログ解説には「大雅晩年の最高傑作」とある。
 本作品は遍照光院の大広間を飾る襖絵十枚のうちの四枚「山亭雅会図」だ。「山亭雅会図」には,三人の高士(隠君子)が山の庵にいて,窓から外を眺めている様子が描かれている。
 上記『楼閣山水図屏風』もそうなのだが,三人の高士が窓から外を覗いている様子が,子供の頃に見た『グリム童話』にある『白雪姫』の古い挿絵に似ているように私は感じた。それは,ドワーフ(地底で金属を採掘する小人)が窓から顔を出して白雪姫に語りかける場面だった。それが面白かったのだが,人の鑑賞がそれぞれ違うのは,経験が違うからだとあらためて思う。
 岩は皴法だけでなく濃淡と淡い着色によって描き分けられている。中国風に岩には小さな苔がはりついている。
 木々の葉の表現が多様だ。点描,細い線を引かれた松葉,小さな丸葉,複葉があって,濃淡と淡い着色で描かれている。霞がかかって,奥の葉は霞の向こうにあって淡い。山亭の背後の遠景には杉がある。木の幹は異様な形と表情をしていて,これらは中国山水画には見られない。大雅独自の描き方か。
人物は細い線で写実的に描かれている。

 隠遁生活を送る文士がいて,友人が訪ねて来るのを待つという画のテーマは中国的だ。しかし,上記『楼閣山水図屏風』と同様に,画面に空白が多くあって日本的だと思う。
 つまり,大雅は中国とも日本とも異なる画法を確立したのだろう。その画法の画を日本では文人画と位置付けた。中国の文人画とはだいぶ違う。



他に気になった作品

風雨起龍図

山水図屏風
寿老四季山水図: 37歳の時の作品。中国山水画法が未熟。

倣董太史富岳図(ホウトウタイシフガクズ): 明時代の董其昌は文人画制作と画論が後世に重要な影響を与えた文人。おそらく,大雅は董其昌作品の実物はもちろん,良質な模作を見ることもなかったのではないか,この画は董其昌風の作品にはなっていない。それでも,若い大雅が新しい画風を求めて模索していたことがわかる。本作品は墨一色で描かれていて,近景にも遠景にも墨の濃淡が使われ,また霞む木々があるなど,遠近について一貫した作画の方針がない。水際の線が硬く,優れた南画ではない。しかし,本作品は自由で力強く,どこか魅力を感じる。

柳下童子図屏風

西湖春景・錢塘観潮図屏風


 ここで酷いことを言えば,大雅の40代以降の作品が評価されて画家としての評価が確定した後で,40代以前の作品がその良し悪しとは別に高く評価されたのではないか。だから,大雅10代20代の作品を見てその才能を見抜いたパトロンは凄いと思う。

2018年4月27日東京国立博物館に行って来た。平成館には並ぶことなく入場できた。作品の前に人垣はなく,ゆっくりと鑑賞した。


(1) 玉かんと雪舟

山水図 伝玉かん筆
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            (カタログから)
玉かんの“かん”はさんずいに門構えの下に月と書く。玉かんは元の画僧で,潑墨(墨をはね散らしたような抽象化された表現)をよくした。作品は日本に伝わり,わが国の水墨画壇に大きな影響を残した。伝称が多いが,真筆だけでなく伝称作品も日本の画家達に大きな影響を与えたという。
この『山水図』,右に濃い墨で樹林を描き,樹林左下に水面があって,小舟が浮かんでいる。向かい岸には薄墨の潑墨で樹木が描かれて,林に靄がかかっているようだ。靄には日が射して明るく輝いている。小屋が濃い墨の線で描かれているが,画面構成を壊していない。玉かんは中国画家らしく光と気を描こうとしている。

玉かん真筆といわれる重文『山市晴嵐図』があった。こちらの方が雪舟の国宝『破墨山水図』に近い。『山市晴嵐図』においては,樹木の形は無く,潑墨で岩・霧・林・山・川が表現されている。はっきりと形がわかるものは橋と霧の中を登る3人の人物と7つの屋根だ。光と気に満ちており,観る者はその世界に入っていけそうに感じる。
雪舟の国宝『破墨山水図』は玉かんの世界を出ていない。
むしろ,若い頃の雪舟の『潑墨山水図』の方に私は魅かれる。


潑墨山水図 雪舟等楊筆 室町時代
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            (カタログから)
右側に崖が潑墨で描かれている。岩の上には木々の枝と葉の形がわかる林がある。林の奥に家々がある。崖は岩にも見えるし,木々に被われている岸の斜面のようにも見える。左には漁師の小舟が浮いている。『破墨山水図』と比較して,より具象的であり説明的だともいえるが,むしろ光・大気感が素直に表現されている。中国山水画の大気感を表そうとした雪舟の若い気概が伝わってくる。



(2) 屏風図と襖図

国宝『松林図屏風』左隻 長谷川等伯筆 安土桃山時代16世紀
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            (絵葉書から)
霧がかかり,そこに光が差し込んでいる。風が流れ始めたのか,霧が割れて奥の木々が淡く浮き上げってくる。静寂な松林が大気感と動きと光に満ちている。
しかし,それだけではない。
私はこの画について二度拙ブログで触れている。
一つは『本阿弥光悦「雨雲」(美の感情の進化3/6)』で,この松林が黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)にあるとした。
一つは『モネ展 睡蓮(鑑賞)』で,モネ晩年の『しだれ柳』の木の下陰の道との共通性を指摘した。
私の考えは変わっていないが,“人はそれぞれの観方で観る”という考えを強くしている。写実的・抽象的・心象的と人によって感じ方は異なるであろうし,それだけの広い受けとめ方を可能にする世界がこの画にはある。

私はこの画を何回か見ているのだが,今回,新しく次のように思った。
1: 以前から,根の形がおかしいと思っていた。不自然な形に盛り上がっているため,幹との調和がとれていない。幹の根本に霧を漂わせれば根は描かれなくてもよいのだが,なぜ根を描いたのか。
だから,これは根でないと観る。根でないとして,特に右から5番目の面(第五扇)にある二本の松の根本にあるものが,私には衣を被った人がうずくまっている様に見える。なぜ,衣を被る人たちがうずくまっているのかだが,それは彼らが死者であり,この画が冥界と現世界の境界を描いていて(拙ブログ『本阿弥光悦「雨雲」(美の感情の進化3/6)』),そこに死者がまだとどまっていると観る。
松林図はあまりにも有名であるため,私の疑問と意見に賛同できない方が当然だろう。しかし,その場合でも,根の張り方をおかしいと思われないだろうか。思われるとしたら,その根の線が何に見えるだろうか。それについて考えることも等伯に敬意を払うことになると思う。

2: 枝の付き方が不自然だ。
松の下枝が垂れているのは,積雪期に雪を被っているからだろう。左右の枝の付き方だが,樹冠は左右に伸びているのに下部では枝が片側に偏ってついている木が何本もある。強風による偏形樹であれば,枝の付かない方向は同じになるだろうが,この画には左に偏る木もあれば右に偏る木もある。いずれにせよ,現世の松林とは異なる。

3: 第一扇に山がある。この山は富士山ではないかと想像する。富士山でなくても伯耆富士の大山と考えてもいい。どちらも日本を代表する霊山だ。松林の場所=黄泉比良坂説の傍証としたい。また,時代は後になるが,この山の形,北斎の『富嶽三十六景 甲州石班沢』の富士山に似ている。

4: 松と松の間に淡墨で潑墨されている。松があるかのようだ。


扇面散屏風 俵屋宗達筆 江戸時代17世紀
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            (カタログから)
八曲一双の屏風で,この画像は左隻の第一から第四扇まで。

この屏風,見ていて興味が尽きない。
1: 美しい。金の下地に,鮮やかに配色された扇が一つの面につき縦に3枚ずつ配置されている。金色に対して緑色が特に効果的だ。遠くから見て,きらびやかだが上品だ。
2: 描かれている図柄の多くは,「保元物語図」と「平治物語図」から図様を引用している。平治物語絵巻六波羅合戦巻(摸本)が展示されていて,精密で写実的で力強い描写に驚くのだが,その人物と馬たちを宗達がデフォルメしてひょうきん顔にしている。近寄ってよく見ればふざけているように思えるのだが,離れてみるとこれが美しく仕上がっている。
3: 第三扇の上の扇面には宗達自身の「風神雷神図」の白い雷神が描かれている。
4: 第三扇一番下の扇面の図柄が凄い。右の大きな緑の鬼が女性の生首をもって食べている。左に青鬼と赤鬼がいて,食人に怯えて嫌そうにしている。

私は宗達の画について二度拙ブログで触れた。
一つは(『金銀の系譜(宗達・光琳・抱一)と曜変天目(鑑賞)』で,「源氏物語関谷・澪標(ミオツクシ)図屏風」)について,画面の中心人物から離れるにしたがって画中の他の人物や事物が小さくなると指摘した。これを,画面内の人物から見た遠近法で描かれていると考えた。
一つは(『京都国立博物館120周年記念特別展覧会国宝1/2: 宗達「風神雷神図」(鑑賞)』で,「風神雷神図」を光琳のものと比較して,宗達の卓越性を主張した。

他に伝宗達の「扇面貼交屏風」が展示されていた。
伝とあるがその卓越した意匠性から宗達真筆だろう。卓越の根拠として,扇が屏風に埋め込まれていること,金地の一色ではなく金銀の小切箔を散らした下地にしていること,その下地に扇面の図柄が際立って見えること,全体に調和がとれてしかも一つ一つの扇面が観る者の興味を引くこと等をあげることができる。
この屏風に「寒山拾得」の扇面があった。一人が箒を置いて踊っている。こんな寒山拾得を初めて見た。寒山拾得の兄弟は儒教の仁者の典型なのだが,その見方を宗達は嫌っている。
「扇面散屏風」と「扇面貼交屏風」の扇面の図様を見ると,宗達の自由な精神と束縛・固定的な考え方に対する反発を感じる。

宗達は日本絵画史上の掛け値なしの天才ではないだろうか。いろいろなことに取り組み,新しい世界をいともたやすく切り拓いているかのように見える。


重文『仙人掌群鶏図襖』 伊藤若冲筆 江戸時代18世紀
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            (絵葉書から)
仙人掌群鶏図は若冲73歳の作品だ。さすがに細緻な筆遣いはできていないため,40歳から50歳頃に描かれた『動植綵絵』に見られるような鳥の羽根がもつ内側からの輝きはない。そのぶん襖金地との対比が鶏を輝かしている。個々の鶏には表情と動きがあって雄鶏と雌鶏と雛の間の関係性を想像させ,さらに時間軸で展開するドラマを連想させる。個々の鳥は力強く自立的に描かれているのだが,全体的としての調和が取れているのは個々の関係性が描かれているからだろう。
若冲はその作品の中で植物の緑をあまり描いていないのではないかと思う。『動植綵絵』に描かれた葉は付け足し的であり,松葉は暗い緑色の線であるし,広葉は薄く輝きのない背景となっている。それに対して,この作品の仙人掌は深緑色をして金地に映え,屏風の左右の端にあって主役となっている。
群鶏と仙人掌が六面の各襖にバランスよく配置されて,美しい。



(3) 工芸品

重文『子日蒔絵棚』伝本阿弥光悦作 江戸時代17世紀
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            (カタログから)
『源氏物語』の初音・夕顔・関谷・橋姫の各帖をテーマにした模様で飾られている。やはり源氏を読むべきかと思うのだが,なかなか果たせない。
この作品,伝とあるが光悦のものだろう。
その理由だが,意匠性に優れること,新奇の風に富んで挑戦的だが粗野ではないことなどを思いつく。
4段目の棚板には根引きの五葉松がある。金と銀の枝が小枝と松葉を絡ませている。枝と小枝は金銀と分かれているのだが,どの枝にも金銀の葉が混在している。どれも男女の睦み合いを連想させる。意匠的で新奇な美しさを感じる。
3段目の棚板には夕顔が描かれた扇の模様がある。金と銀で描かれているのだが,よく見ると面白い。金色で夕顔の葉を描き,くすんだ銀色で五弁の花を描いている。蔓が扇から棚板に伸びている。とても光悦らしい。
2段目の棚板には牛車と従者が描かれているのだが,驚くほど立体的に仕上がっている。

私は既に光悦作品について何度かブログに書いている{(本阿弥光悦「雨雲」(美の感情の進化 3/6))・(光悦「雪峯」(鑑賞))・(光悦 不二山(鑑賞))等}のだが,光悦は宗達と同じように卓越している。


国宝『八橋蒔絵螺鈿硯箱』尾形光琳作 江戸時代18世紀
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            (カタログから)
これが国宝であることはよしとして,それならなぜ光悦の『子日蒔絵棚』が重文なのかと文句を言いたい。光琳の評価が高過ぎはしないか (拙ブログ『光琳展 燕子花図屏風 紅白梅図(鑑賞)』)。


(4) 気になった作品

1: 普賢菩薩騎象像 平安時代 大倉集古館蔵: 柔らかく優しい普賢菩薩。象に想像上の部位と妙にリアルな部位があって面白い。

2: 雪舟筆 重文『四季花鳥図屏風』 室町時代: 雪舟60代の作品。右隻には丹頂鶴と松が,左隻には鷺と梅と雪原が描かれている。水墨画の手法が取り入れられているが,着色された装飾的な屏風だ。
雪舟は山口を支配する大名の大内氏の庇護を得て入明し,明の画法を学んだというが,大内氏は雪舟に何を期待したのだろうか。水墨画の技法を向上させることか,あるいはこの花鳥図のような装飾性の高い画法を学ばせて,館や寺社の装飾をさせるためだったのか。

3: 狩野元信筆 重文『四季花鳥図』 室町時代 京都大徳寺大仙院襖絵:
左端の滝と松の図,松の樹肌が写実的で浮き上がって見える。水しぶきは様式的だが洗練されて動きがある。中央の遠景は淡墨で描かれていて,中国山水画のような大気感を出そうとしている。狩野派も中国絵画を手本にしたのだ。

4: 酒井抱一筆 白蓮図 江戸時代

5: 岩佐又兵衛筆 国宝『洛中洛外図(舟木本)』 江戸時代:
非常に細かく丁寧に描かれている。見ていて興味が尽きないだろう。
残念ながらこの画にたどり着くまでに,私は体力・気力を消耗してしまっていた。

6: 菱川師宣筆 見返り美人図 江戸時代: 色が鮮明に残っている。

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