カテゴリ: 2018中国国家博物館探報記

寡聞にして私は張大千(1899年)~1983年)を知らなかった。
彼は現代中国の代表的画家の一人であり,画だけではなく,書・篆刻・詩にも通じていた。
一時期,彼は敦煌莫高窟に住み込んで壁画を模写し,
それによって莫高窟壁画を広く世に知らしめた功績がある。
国共内戦時に中国を出て,香港・ブラジル・アメリカ・アルゼンチンと移り住んだ後,
1978年中華民国に移居し,そこで晩年を過ごした。
山水画を得意としたが,花卉画にも優れた。
古典的中国画技法と現代の技法を癒合させたとして評価される。
また,贋作者として知られる。



華山雲海図 1936年 46.3×590cm
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全体的に写実的で,伝統に従って老松が描かれている。
そして,雲が雲として写実的に描かれている。
しかし,引っかかるかるものがあって,
それは伝統的な“気”の雰囲気がないということだ。
そもそも中国山水画の“気”がよくわからないのだが,それでも,
私にも石涛の雲と張大千の雲の違いが感じられる。
ましてや,元代以前の画家達とは違う。
張大千の雲はおとなしい。
この世離れしていなくて,つまらなくさえ感じさせる。
それは着色のせいかもしれないが,
一般的にいって,中国山水画の着色は,色を重ねないこともあって,
対象の視覚的可能性を引き出せていないように私には思える。
また,彼は贋作の大家だというから,元代の大画家の雲に似せることができたのだろが,しなかったのはなぜか。
彼の画を求める顧客の要望がそこになかったのだろうか。
彼の力量にもよるだろうか。


巫峡清秋図軸 1939年 124.8×35.5cm
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力作。


臨mo十一面観音像軸1941年-1943年 紙本設色125.9×61㎝
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Moは(まねる)の意味の漢字。


臨mo盛唐西方浄土変軸 1941年-1943年 布本設色315×261㎝
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西康紀遊図冊 1947年 62.7×33.4㎝
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上述の華山雲海図を描いたころより,
手法といい画の構成といい立ち昇る雰囲気といい,
内面性を重んじた中国山水画本流に近い描き方をしているが,
写実性にこだわり,どこか中途半端に感じる。


仿宋人溪山無尽図軸1948年紙本設色
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宋の画家に倣っているようには見えないのだが。


序のところでは,日本語で書かれたものを参考にして張大千の紹介をした。
これと中国語のもの(維基百科,自由的百科全書)と違うのが面白い。
中国語でも,彼が「中國當代知名藝術家」とあるのは変わりがない。
しかし,日本語のものにはない家族関係の記載が多い。
彼が姉妹の死にあって世の無常を感じて出家したが次兄の説得で還俗したとか,
妓生を妾としたが彼女は抗日のため日軍に強姦されたあと自殺したとか,
台湾移居後日本を行き来する間に美しい日本女性と知り合って彼女に詩を贈ったとか,
彼女を常に側から離さなかったとかある。
愛する女性を殺した国に対して彼に感情的しこりはなかったのだろうかとか
どこまで史実なのかとか気になるが,
中国圏ではこれが事実として定着するのだろう。
書かれて散布される言葉は恐ろしい。

青銅器・玉器・陶磁器等と違って,絵画の展示作品数は多くない。
これは紙や布という材質や顔料が光線によって劣化しやすいからだが,
訪れる機会の限られる旅行者としては残念だ。
国家博物館の絵画展示も多くはなかったが,見たことがある名前の作家の作品もあった。



明憲宗の元宵行楽図は巻物を開いた形で展示されていた。

明憲宗 元宵行楽図
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元宵とは「元宵節(小正月)」のこと。
宮殿内では祭典が行われた。

元宵行楽図
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元宵行楽図
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杜瓊 疊嶺松渓図軸 明成化3年(1467年)
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杜瓊(トケイ)は民間の画人。
疊(ジュウ)は“積み重ねる”の意味だから,疊嶺は連山の意なのだろう。
画は麓の渓谷の様子を遠近に松を配し,距離によって松を描き分けている。

疊嶺松渓図一部
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画面手前の大きな松は皇帝に仕える君子の象徴であり,中国山水画の伝統通りの位置に置かれている。
一つ一つの葉と幹が写実的で,品格をもって描かれている。

疊嶺松渓図一部
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画面中央部左の松は枝が簡略化され,横に線を引いて表現されている。

疊嶺松渓図一部
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遠ざかると,松は霞がかかっているかのようにぼやけ,枝の数が減っている。
しかし,最も遠い岩山の頂付近の松は,背は低いながら,墨色を濃くして,しっかりと描かれている。


龔賢 秋林書屋図軸
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清初の龔賢(キョウケン)。南京で活躍(?―1689)した代表的文人画家。
現在,龔賢は中国では再評価されているようだ。
筆の線を見ると,一本一本に無理やり表情をつけようとせず(下手な小細工をせず)に確信的に引いている。


王原祁 仿雲林山水図軸 清康煕35年(1696年)
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王原祁(オウゲンキ)は,清を代表する画家。
科挙に合格して進士となり,県知事に昇進した。
その後宮廷画家となり,また書画関連役所の要職を勤めたというからたいしたものだ。
彼の本来の画風は,画面いっぱいに山と谷と樹木で埋め尽くす,中国山水画の伝統的スタイルをとる。
この画の題には,仿雲林とある。
雲林は元末の倪瓉(ゲイサン)という画家の号だ。
倪瓉の作品は我が国でいう“南画”の系統に属し,日本人好みの山水画であって,王原祁のものとは異なる。
中国の画家はよく古人の作品を真似て描くことをする。
古人の画風に学ぶことで,自分の技巧の向上を図ることもあるし,古人の精神的境地に達し(気を同一化して),
自分の中に取り入れようとする信仰にも似た考えがあるのだろうと思う
(この功罪については改めて書いてみたい)。
この仿雲林山水図だが,湖の岸辺を描いており,水面と空と空気感が混在している。
だが,私には倪瓉の作品に迫る所まで似ているようには思えない。
力が弱く,寂寥感に足りないように感じるからだ。

王原祁 仿雲林山水図軸一部
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画面左上に岸の線が2つ突き出している。
その輪郭線から垂れ下がった線がある。これが何かわからない。
また,右端の木の葉が垂れているように描かれているが,柳のようには見えない。
地衣類のサルオガセに似ている。


金農 双鈎竹図軸 清乾隆二十七年(1762年)
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双鈎竹図部分
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金農は揚州八怪と呼ばれる画家集団の中心的人物。
中国人は竹の画が好きだ。

中国国家博物館で張大千(20世紀の中国絵画界の巨匠)の特別展があり,
同氏の作品だけではなく,彼の収集品も同時に展示されていた。
展示されているものの中に石涛(セキトウ)の画がたくさんあった。
石涛(1642年~1707年)は明帝室の末裔にあたり,
清の追及を逃れるために仏門に入った画僧だ。
中国のオンライン百科辞典の百度百家を見ると,
「石涛是中国絵画史上一位十分重要的人物」
「他既是絵画実践的探索者,革新者,又是芸術理論家」とある。
中国での評価はかなり高いのだろう。



石涛 長安雪霽図軸 康煕二十九(1690年)
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霽は“セイ”と読み,“晴れる”の意味。
“雪霽”で雪が止んで晴れるということになる。
雪景色の引き締まった空気感のある,気品ある画だ。
画面左下に松が生える岩を置く。
中央右に草庵があり,なかでは高士が琴を弾いている。
草庵の後方に丸太状の山が2柱描かれている。
丸太はモンスターのように屹立する。
モンスターというのは,手前の丸太山が左を向いた顔をして目が飛び出し,
顎と口があるように見えるからだ。
岩肌に墨が他と比べて濃い影の部位がある。
影というより,青黒い静脈の筋なのか。
筋は怪しく分岐し,別の生き物であるかのようで異様だ。
さらに,この山には構造的問題がある。
2つの丸太山の麓には斜面があり,斜面は林で被われている。
このように麓では2つの山同士がかなり離れているのだが,
頭頂部を見ると1つに接合している。
頭を傾けてぶつけ合っているのかもしれないが,どう見ても構造的には無理があるだろう。
ただ,背後の山々のモンスター化は中国山水画の常套といってよく,
石涛もその伝統に従っている。

川が画面左から右下に流れている。
川には細い橋がかかる。
道をたどると草庵に至るのだろうから,
高士(隠君子)が友を待つという中国山水画お約束の光景だ。
中央部には森があって,その向こうには湖がある。
湖の岸辺に帆が4枚見えるので,そこに小さな漁村があるのだろう。
私見だが,漁村は桃源郷だと思う。
桃源郷は,漁師が川を遡っていくうちに迷って到達した伝説の仙境のことで,
川と漁師が関係し,俗人には行き着くことができない場所だ。
高士が住む草庵は人境の端にあって,
奇怪な山々が連なる奥に行くほど,仙境が深まるといえよう。
モンスターのような山は桃源郷を守る番人になる。
そこにある漁村だから,桃源郷と考えるのだ。
画に潜在する村に川が通じていることもその理由になる。

この画は,中国山水画の伝統的な作風なのだが,
伝統の中にも新規な風景を描こうとする石涛の工夫・葛藤が随所に見られる。
また,彼の画には清涼とした孤独感とでもいうものが感じ取れて,
石涛が死と対峙し,迫る足音を聞き続けた画家なのではないかと思うのだ
(拙ブログ『「北斎-富士を越えて」2/2 なぜ『富嶽三十六景』のような風景画が売れたのか?』参照)。

長安雪霽図部分
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長安雪霽図部分
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石涛は職業画家でもないのに,筆使いが実に巧い。
高度な技巧をもって,細部まで手を抜かずに気力を込め,
真摯に“彼の世界”を描こうとしている。


石涛 高士難読溪図軸 康煕二十九(1690年)
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典型的中国山水画。
遠近法からいうと,いわゆる深遠と高遠で描かれている。
前景に渓谷と河川,中段に草庵があり,高士が一人草庵に向かう岨道を行く。
上段には奇怪な岩山がある。
後部のもっとも高い岩山は頭巾をかぶった僧のようだ。
「長安雪霽図」では岩肌が立体感の表現法である皴法によって描かれていないが,
この「高士難読溪図」では何種類かの皴法が用いられている。
また,渓谷には雲が湧き上がり,空気感が表現されている。

感心するのは,「高士難読溪図」・「長安雪霽図」も含めた中国山水画の大きさだ。
縦が1.5mを越えているのではないだろうか。
その大きな画面に,下書きなしに破綻することもなく,細部をごまかすことなく―――
これは石涛一人に当て嵌るものではなく他の偉大な画家達にもいえることだが―――
一気に描き上げて自身の世界を創り上げる筆力には恐れ入る。

高士難読溪図部分
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石涛 山水冊 康煕三十四(1695年)
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禅僧だろうか,松の木の上で座禅を組んでいる。
この山水冊,石涛が歳を取ってからの作品だろうか?

山水冊
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元の倪瓉という画家の作風を感じさせる。

山水冊
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元の趙孟頫(チョウモウフ)という文人画家の作風を感じさせる。
ほのぼのとした詩情豊かな味わいが出ている。

山水冊
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高士が人里の小道を歩いている。
上流に向かっているようだから,これから隠者の草庵を訪ねるのだろう。

山水冊
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山水冊
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荷花紫薇図軸 康煕三十六(1697年)
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“荷花”はハスの花。
“薇”は国語辞典ではワラビとあるが,中日辞典ではカラスノエンドウとなっている。
画面右中央部にあるのはワラビではなくカラスノエンドウかと思うが,
普段見かけるカラスノエンドウらしくはない。

展示されていた磁器の中には案内板に皇帝名がなく,ただ清とするものがあった。
おそらく高台裏に皇帝名が書かれていないのだろう。
すると,例外はあるだろうがこれらの磁器は官窯ではなく民窯で焼かれたものか。
製作年代は清代と同じ1644年-1911年となる。

また,本体が磁器ではなく,銅製のうつわの上にエナメル様彩色を施した銅胎琺瑯の作品があった。



(1) 皇帝名がない磁器

”敬畏堂制”ji籃盤
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深い藍色をしている。
“ji籃盤”のjiの音の漢字は“雨が止む”という意味だから,雨が止んだ後の藍色をした皿ということになる。
”敬畏堂制”がわからない。


黄料瓶
Yellow Glass Vase with Kui and Poem
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落ち着いた渋みを感じさせる黄色。
漢詩が書かれているが,私には読み取れず,詩の形式がわからない。
表面には青銅器にあるような模様が浮き上がっている。
これがKui(龍)の模様だろう。


淡く上品な青色をした青花の作品があった。

青花人物故事紋鳳尾尊 景徳鎮
Blue-and-white Glazed Phoenix-tile Shaped Zun
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“人物故事紋”とは故事にある劇的場面のことか。
“鳳尾尊“はこの尊の上部の形が鳳凰の尾に似ていることにちなんだ名称なのか。
“Phoenix-tile Shaped“のtileはtailの間違いだと思う。


青花錦地四開光博古花鳥紋蓋罐 景徳鎮
Blue-and-white Glazed Jar with Flower and Bird Design
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“錦地”というにしては多様な色彩はないが,地にある繊細な模様のことだろう。
“開光”は窓枠。
“博古”は古代の礼楽器。
“蓋罐”は蓋つきの罐(円筒形の壺)。




(2) 銅胎琺瑯の作品

清代にヨーロッパから七宝焼の技法が伝来した。
七宝焼はもともと金属材料の上に様々な色のガラス質の釉をかけて焼いたものだ。
この技法は細かな絵付けが可能で,グラデーションをかけられる点が優れている。
銅胎琺瑯は伝来の七宝焼のことである。
琺瑯彩は七宝焼と考えてよいのだが,
さらに中国の絵付け技法を融合させて中国独自の琺瑯彩がつくられた。

ところで,清の絵師は金属器だけではなく磁器にも絵付けをした。
それが乾隆帝時代の粉彩と琺瑯彩で,どちらも白地の磁器を焼き上げた後,
その上にガラス質の釉で絵付けしたものだ。
まず,景徳鎮で白色磁器がつくられた。
磁器表面に景徳鎮の絵師が絵付けしたものが粉彩であり,
白色磁器を宮廷工房に送って,そこの絵師が絵付けしたものが琺瑯彩となる。

では,銅胎琺瑯を見ていくことにしよう。


銅胎琺瑯画開光西洋人物天球瓶
Painted Enamel Bottle with European Figures
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乾隆帝時代には西洋人物を描いた図柄が好まれたようだ。
私は台北の故宮博物院でも幾つか見ている(拙ブログ『故宮博物院探訪記』参照)。
この天球瓶,背景の建物は西洋風だが,山は中国風だ。
瓶の地表面には非常に繊細な花卉紋があって,呆れるばかり。

銅胎画琺瑯開光西洋人物耳瓶
Painted Enamel Bottle with Beast-shaped Ears
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銅胎琺瑯花蝶紋杯(1対)
Painted Enamel Copper Cup with Flower-and-butterfly Decoration (1pair)
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キクの花が上品に描かれている。

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銅胎qai-si琺瑯饕餮紋簋
Cloisonne Enamel Gui with Taotie Design
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qia-siの音の二字の漢字には“生糸に様な細いものをつまむ”の意味がある。
これは有線七宝のことだと解釈した。
有線七宝は細い銀の針金を叩いて薄く延ばしてつくった銀線で模様を囲い,囲った空間に釉を流し込む技法だ。
饕餮紋とあるのは本体と台にある面構えのことか。
しかし,饕餮にしては迫力に欠け,
私にはチベット仏教の仏像の顔に似ているように見える。
清の皇帝好みなのだろうか中国的に洗練されているが,私の好みではない。
耳が面白い。龍が首をひねってついている。


銅胎qia-si琺瑯鏤空香薫
Cloisonne Enamel Incense Burner
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鏤(ロウ)は“金属を彫る”の意。
龍と波涛紋(あるいは雲紋)が透かし彫りになっている。
蓋の上にのっているのは形から見ると蓬莱山だろうが,
蓬莱山が乗っている下の怪獣が亀には見えないので,違うかもしれない。

乾隆帝の在位は1736年から1796年までだった。
作陶技術については中国陶磁の頂点に当たる時代だが,
その作品が日本人好みかというと私にとっては疑問だ。
明までの作品はわかるのだが,清に入って彼我の好みがずれてきたのではないかと思う。


藍地粉彩花卉紋包袱尊
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粉彩は西洋の七宝の技法を応用したもので,
この尊(青銅器)は西洋版の金属器ではなく磁器にエナメル製釉を施してある。
粉彩は琺瑯彩ともいわれるが,両者の違いは一般人としては気にならない。
全体としては藍色の地に粉彩で花卉紋をつけた尊の形の器。
包袱はホウフクと読むのだろう,意味は「ふろしき」のこと。
胴部にピンク色の帯状の部位がある。
その裏側に幅広の結び目があるから,このピンクの帯が包袱にあたるのだろう。
色と模様を見る。
藍というが薄い空色をしている。
そこに,赤・ピンク・黄色・緑・紺・白などの多様な色を使って花卉紋があって,
包袱部には牡丹唐草紋と思われるものが描かれている。
牡丹の花には粉彩特有のグラデーションが施されている。
私の印象としては,「きれい」を作り過ぎている。


粉彩鹿紋尊
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絵付けが素晴らしい。
岩がいい。松がいい。


Ji藍地粉彩描金纏枝牡丹紋双燕耳尊
Porcelain Zun with Swallows and Gold-painted Design
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JIの漢字が日本の辞書にない。
意味は「雨が止んだ後」とあるから,Ji藍地で「雨が止んだ後の藍地」になる。
金色で牡丹唐草紋が描かれている。その線と面がにじみではなく,かすれているのが面白い。
燕模様の耳があるが,私には全体と調和が取れていないように見える。


粉彩百花図葫芦瓶
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瓢箪型の瓶で,首部から足元まで花で埋め尽くされている。
凄いと思う。


琺瑯彩纏枝花卉紋瓶
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頸の空色が映える。
胴に花卉唐草紋がある。
葉の色が緑だけではなく,白色をしている。
花の色が暗紅色で,花弁にはグラデーションがかかっている。
また,唐草紋の下には地として白色の花模様があって,二段構造になっている。
まるで,和服の地模様のようで,磁器模様としては面白い。
下部の腰にはがく片を上にした花が描かれていて,その花弁の色が黄色と空色をしている。
これらの絵付けがやり過ぎているように感じる。


黄地粉彩番蓬八吉祥紋瓶
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番蓬の意味がわからない。
八吉祥紋はチベット仏教の8つの吉祥紋。
配色が凄いわりに,落ち着いた気品が感じられる。


粉彩桃紋天球瓶
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このタイプの天球瓶はいくつか見ていて,このブログでも紹介している(『清の陶磁器2/3(鑑賞)(故宮博物院探訪記11)』,『出光美術館 東洋日本陶磁の至宝-華麗なる美の競演(鑑賞)』)。
絵付けは写実的で,気負いがなく,品があってたいしたものだと思う。
その分ちょっと力不足。


豆青釉地開光粉彩山水紋海棠式瓶
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名称がよくわからない。
「豆青釉」とは淡青色の釉色,「開光」は窓飾り,「山水紋」は山水を描いた図,だが「海棠式」がわからない。
さらに,これが「瓶」といわれるとよけいわからなくなる。
頸が太いので,「壺」の部類ではないか。
また,ゾウの頭部の形をした金色の耳がついている。
豆青色の地肌には唐草紋か雲紋のような文様が繊細に陰刻されている。
窓の中には彩色された山水画が描かれている。
画は明るく,隠棲の地というよりリゾートのようで,
その分内面性に乏しいのは,清という時代の特徴か。
文句をいうが名品だ。


粉彩雨中烹茶図景題詩茶壺
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緑地粉彩開光花卉詩句紋瓶
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色にむらなく,
線に乱れなく,
緑地の上の紋様は繊細で統一が取れている。
窓内の花卉図は写実的で美しい。
一つの狂いもないのではないか。
これ1つ完成させるために,どれほどの人力とコストがかかったことか。


緑地粉彩盤蓬紋喇嘛塔
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喇嘛塔はラマトウと読む。
清の皇帝たちはチベット仏教を信仰していた。
ラマはチベット仏教の僧のことなので,この喇嘛塔は仏塔を模したものだろう。
緑地に描かれた繊細な文様の紫色・青・藍・橙・ピンク・赤が映える。


闘彩桃蝠紋葫芦扁瓶
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桃蝠紋とある。
探すと桃の実と葉が腰部と頚部にある。どちらも吉祥紋だ。
蝙蝠は窓の外を飛んでいる。
窓の中には花卉図が描かれている。


闘彩團花紋罐(花蝶等吉祥柄円形図案)
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よくもまあ,破綻することなくこれだけ正確無比な細かい絵付けをしたものだ。


咸豊紅彩金魚紋長方形花盆
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しゃれている。


青花折枝花果紋六方瓶
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唐英款青花纏枝蓬紋花瓶
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乾隆期の青花だが,色・線・模様の正確さどれをとっても完成品には違いない。
しかし,絵付けに力強さや躍動感や生命力を表す筆づかいがなく,
絵付師の心意気,あるいは野心が感じられない。

雍正帝の治世は1723年-1735年だった。


胭脂紅釉盒
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胭脂紅(エンジコウ),よくもまあこんな色が出せたものだと感心する。


窯変釉綬帯耳
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赤色を呈色させるのに銅を用いて色付けし,その上に透明釉を掛けて焼成したのが釉里紅。
滲みなくむらなく発色させるのは大変難しいが,雍正年間に技法の完成を迎える。

釉裏紅三果玉壺春瓶
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釉里紅折枝花果紋葫芦瓶
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葫芦(コロ)瓶は瓢箪型をした瓶。


紅彩雲龍紋瓷碗Iron-red Bowl with Dragon and Cloud Design
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釉里紅で龍を描くには技術的に無理があるのではないか。
青花の龍の方が,躍動感があって力強いように感じられる。
しかし,これは好みの問題なのかもしれない。


青花釉里紅桃紋玉壺春瓶
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形・発色・桃ノ木の枝葉の描写に品があって素晴らしいと思う。


青花花鳥紋罐
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絵だけを見ると,職業画家のありふれたできで発展性・面白味に欠ける。
これは,清時代の中国人の嗜好なのだろう。


黄地五彩雲蝠紋碗
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赤色のコウモリが瓢箪を結わえた羽衣を咥えて飛ぶ模様が面白い。
中国ではコウモリは「福」を表すが,瓢箪も吉祥紋なのだろう。
緑色の雲が黄色の地に映える。



文様の輪郭を青色の線で描き,輪郭線の内側に彩色したものが豆彩で,
闘彩は清時代の豆彩のこと。

闘彩纏枝花卉紋盖盒
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闘彩夔鳳紋吉祥紋盒
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非常に凝った紋様で飾られている。
みこみ中央には,夔鳳(キホウ)という怪獣のようなものが一対描かれている。
夔鳳紋の上部に法輪のような物が描かれている。
周りには唐草紋や雲紋やよくわからない形をしたものがある。
地色は白く,紋様にはにじみがなく,線は細く的確である。


闘彩番蓬紋葫芦瓶
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番蓬紋が何かわからない。
瓶の上部(首)にはコウモリの紋がある。
下部(胴と腰)には花卉紋がある。
花卉紋には凹凸があるが,釉を盛り上げたのだろうか。


倣木紋釉粉彩人物紋筆筒
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木紋釉は木肌のような模様の釉仕立てだから,筒の上下にある褐色部のことだろう。
人物画は粉彩で描かれている。
人物画は絵付け専門の陶工の手だろうか,宮廷画家の手だろうか,とても巧い。


烏金釉碗(一対)
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烏金釉(ウキンユウ)。
左碗,虹色の輝きが金属光沢のように映っている。
右碗,漆黒が美しい。


炉鈞釉長頸瓶
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青色の釉と赤色の釉が鱗状の基本構造をつくり,そこに青色が垂れたり,粒状になったりしている。
いろいろな技法を創りだすなと感心する。

中国国家博物館には清の陶磁器が多数展示されていた。
清時代,陶磁器の製法は非常に進んだ。
特に康煕帝,雍正帝,乾隆帝の時代がそのピークになる。
これから,気になった陶磁器を皇帝の治世に分けて紹介してみたい。

まず康煕帝時代のものから。
帝の在位は1661年から1722年まで続いた。


闘彩雉鶏牡丹紋罐
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文様の輪郭を青色の線で描き,輪郭線の内側に彩色したものが豆彩で,
闘彩は清時代の豆彩のこと。
豆彩のいわれは,緑色が青豆の色調に似ていることからくるという。
この闘彩罐,牡丹の枝と葉が写実的なのだが,落ち着いた気品をそなえて描かれている。


五彩花鳥紋八方花盆
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花鳥の描写は写実的に見えるが,装飾的に強調されていて中国風。


五彩長亭餞別図棒槌瓶
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作品名に「餞別」とあるが,「送別」の意。
唐僧三蔵が長安を出立するにあたり,長亭に文武百官が見送りに来ている図と
解説にあった。
左端の僧が三蔵だろう。
百官の足元は白地だが,瓶下部の腰は白雲になっている。
これが日本画の「すやり霞」ようだ。
中国の絵にもこのような描写があったと知る。
瓶の肩の風景画は,中国古来の山水画の心象性はなく,装飾的に見える。
これは,この時代,絵画における山水画が行き詰っていたことと関係するのではないか。


青花加紫山水筆筒
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「青花」とあるのが,青色の輪郭線がないので,そう名付けていいのだろうか疑問。
着色線の代わりに,山肌や木々の葉の輪郭を彫り込んで陰影・色の濃淡の線がつけられている。
情感のある山水図だと思う。


青花人物紋觚(コ)
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青色が純粋で,濃い色も薄い色も美しい。
雲や水の漂い流れる様,木の葉の描き分け,適度な滲みのある岩の表現法,
胴部の花卉の線の繊細で的確であること等が凄い。
何人かの絵付け専門の職人が分担して描いたのだろうが,全体のまとまりはある。


青花海水双龍紋瓶
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青色が濃く,美しい。
線が躍動的でいながら引き締まっている。


青花夔鳳(キホウ)紋壷
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Ji籃釉合碗
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Jiに対応する漢字を表記できないが,「雨が止んだ後」の意味。
つまり,雨あがりの空の色のことだろう。
紫がかった青色がどこか人工的であり,宋代の冷たい青色とは違う解釈だ。


天籃釉刻菊花紋長頸瓶
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いろいろな青色がある。


天籃釉菊ban尊Sky-blue-glazed Porcelain Zun(vessel)
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薄い天籃釉。
これなら空色に近い。


Jiang(豆へん+工)豆紅釉太白尊
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Jiang豆で豆の品種名。
太白尊とは,このような底が大きく平らな瓶のこと。
肩の部分に展示室の蛍光灯がくっきり映るほど滑らかな肌に,細かな模様が彫られている。


郎窯紅釉観音尊
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郎窯は景徳鎮管陶官の名を取ったもの。
観音尊は,この瓶のように口と底部がほぼ同じ面積になっている。
赤褐色に紫色が入って深みがあり,しかもその色が均一なのが凄い。
この技法は製法が複雑で高度過ぎて,以降継承されなかった。

明代には,色釉や五彩の絵付け等があって興味深い。



明永楽 海水雲龍紋扁瓶1403年-1424年
Blue-and-white Porcelain Flask with Dragon among Clouds and Sea Waves
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名称は「海水雲龍紋扁瓶」とあるが,これは青花(染付)だから,
日本的名称としては「青花波涛雲龍紋扁瓶」になると思う。
瓶の肩部から腰部にかけて波涛紋と雲龍紋があり,
首部には宝相華唐草模様が描かれている。
雲龍の輪郭が青線で引かれているのだが,龍の細部は陰刻で描かれている。
龍は大きさが適切であり,瓶の湾曲によって龍の立体感が出ている。
波は線の太さと濃さが不揃いで,色のにじみもあって乱れる。
それが龍出現の緊張感を生み,また,龍の躍動感を強調する。


明永楽 白釉暗花三繫罐1403年-1424年
White-glazed Porcelain Jar Incised with Floral Design
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官窯とあった。
三繫(サンガイ)は罐(日本の壺のこと)の肩にある耳のことだろう。
胴部には細かな模様が型押しされている。


明宣徳 青花纏枝紋貫耳瓶1426年-1435年
Blue-and-white Vase with Two Lugs and Intertwining Branches Design
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明嘉靖 五彩魚藻紋罐
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明時代には紅・緑・青(藍)・黄・黒色を使った五彩の絵付けが行われた。
魚藻紋は昔から中国で好まれている吉祥の紋。
魚は金魚のようだ。
金魚のおっとりとした表情,軟らかな動きが表現されている。
藻と水草は水底の沈むもの・浮遊するものに描き分けられており,
多様で彩り豊かだ。
むしろ,ここでは魚より藻が主役ではないか。


明嘉靖 黄彩雲龍紋罐
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画像のピンが甘いのをご容赦願いたい。
龍の爪が五本なので,皇帝のための罐なのだろう。
黄色と暗い赤色の対比,絵付けの丁寧で迷いのない線,龍のとぼけた表情。
空中には雲があって,牡丹唐草が浮いている。
その牡丹が雲のように描かれている。


明万暦 青花百寿字罐
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明万暦 五彩穿花龍紋出戟花觚1573年-1620年
Poly-colored Gu Vase with Dragon Design
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この画面の龍には,赤龍と青龍がいる。
龍は5爪であり,この觚が皇帝のためのものだとわかる。
赤龍には緑色の棘の縁取りがあり,青竜には赤色の縁取りがある。
赤と青の雲が飛ぶ。
青龍のくすんだ青色の他に,コバルト色の明るく強い青色があって,
画面を引き締めている。
濃い赤の花は牡丹唐草だろうか。
地肌の白が純白であり,原色がよく生えていると同時に,
派手な割には気品を感じさせる。
形といい,配色といい,いかにも中国的だ。


明永楽 青白釉暗花纏枝蓬紋碗
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青白釉とあるが,ほんの少し青みがかった白磁に見える。
その色が碗全体にわたって均一に行き渡っている。
地肌には唐草模様が彫り込まれている。


明永楽 甜白釉雲龍紋高足碗
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甜白釉は「テンハクユウ」と読むのだろうか。
意味が分からないし,雲龍紋がどこにあるのかもわからない。


明宣徳 孔雀緑釉高足碗
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孔雀緑釉とある。
調べると色は「孔雀の羽根の翠緑色」のような濃い青緑色のことらしい。
しかし,この碗は青色だ。
それも,青磁の青・青花の青とは違った青で,空の青というより水の青に見える。
碗の下に行くほど深く濃い色あいになっていることからも水の青とわかる。
青の面に細かな筋目があるが,想像するに,拡がる波紋だろうか。


明 釉裏紅三果紋高足碗
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真っ白の地肌に釉裏紅の赤が映える。
この果実は石榴だろう。
黄色がかった部位や赤に濃淡があって,心象写実的な石榴に見える。


明洪武 青花折枝牡丹紋花口盒
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これが青花に入るのだろうか?
「盒」は飯盒などに使われる「盒」で,本来は「蓋つき容器」のことだが,
調べると「皿」の意味もある。
見込みには,非常に細密に牡丹模様が描かれている。
口縁には波濤紋があるのだが,1つ1つの波頭に表情があって愉快だ。


明洪武 釉裏紅纏枝牡丹紋大碗
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上掲の青花折枝牡丹紋花口盤の口縁と同様に,
この釉裏紅碗の口縁部にも波涛紋があって,その1つ1つの波頭に表情がある。
見込みの地肌に赤色がにじんでいるが,
牡丹唐草紋にはにじみがなく,細密に描かれている。


明 黄釉盒
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明代には色釉が発達した。
落ち着いた色合いの黄色。


明 祭紅釉盒
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祭紅釉とは祭祀用陶磁器の紅釉。
前掲の黄釉盒と同様に色の純度が低いが,
赤々していないことで,深く落ち着いた色合いになっている。


明 祭藍釉暗花双龍珠紋盒
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紫を帯びた藍色が美しい。

台北故宮博物院では見ることができなかったタイプの元の陶磁器があった。



元 青花雲龍紋罐
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前述のように,博物館では陶磁器の名称の書き方が不統一で,英語表記と窯名が無い。
青花は日本の染付のことで,白地に青色で紋様を描く。
この罐は元の青花の卓越した一品。


元 磁州窯白地黒花龍鳳紋罐
White-glazed Jar with Dragon and Phoenix Design
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この罐は国宝なのだが,技法の発展を示す歴史的価値があるのだろうか?


元 磁州窯白瓷褐彩鳳紋罐
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元 磁州窯白釉黒花嬰戯図罐
White-glazed Porcelain Jar with Children Playing
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筆が滑らかで,嬰児が賢く健康で明るい表情に描かれている。
古来から中国では男児は家の宝だ。
花は富貴の象徴である牡丹だろう。


元 鈞窯月白釉蓋罐
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月白釉(ゲッパクユウ)は鈞窯の特徴的釉で,青色と赤色とそれらが混じった紫色が発色している。


元 龍泉窯青釉双系罐
Green-glazed Jar with Two Lugs
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灰色がかった青色が冷たく美しい。


元 龍泉窯青釉纏枝牡丹紋瓶
Green-glazed Porcelain Vase with Intertwining Peony Design
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Peonyはシャクヤクのこと。
纏枝紋は日本語では「唐草紋」に当たるのではないか。
龍泉窯の青磁らしい灰色がかった青緑色をしている。


元 鈞窯鏤空座四獣面双chi耳瓶
Porcelain Vase with Dragon-shaped Handles and Openwork Stand
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Chiは「角なしの龍」のこと。
それが瓶の耳になる。
胴部には獣面が4つついている。
国宝なのだが,“中国人の感性”には合うのかとしか理解できない。


元 龍泉窯青釉碗
Green-glazed Bowl
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元 枢府窯瓷盤
Porcelain Dish, Shufu Ware
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枢府窯を調べてみると,景徳鎮窯の白磁だそうだ。
その白磁には,純白釉のものと青白釉のものの2種類あった。
この盤は青白釉の方だろう。
好意的に見てもいま一つ。良品は台北故宮博物院に収蔵されているのか。


元 醤釉印花嬰戯碗
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醤釉(ショウユウ)は暗褐色をしている。
「醤釉は柿色釉・紫金釉とも呼ばれ,鉄分を含む釉を高温で熱して発色させたもの。
北宋時代に定窯・輝州窯・建窯・吉州窯などで製作され,
元代でも継続して製造された」と解説にあった。
碗の見込みに,遊ぶ男児(日本では“唐子”)の模様を型押しでつけている。


遼 赤峰窯白釉黒地剔刻牡丹紋尊
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黒地(褐色)の上に白釉をかけて焼き,白地を掻き落として模様を描いたもの。
牡丹が奔放で力強い。
葉の部位の白地の厚さを変えたのだろうか,
葉面が濃さの違う褐色で表現されていて,表情がある。
このような技法は,本家の磁州窯の掻き落としでは見たことがない。
遼の陶磁器には中国とは違う面白さがある。

(1) 宋の陶磁器

宋代は中国視覚芸術のいくつかの分野における頂点の時代だと思う。
陶磁器はその分野のひとつだ。
純粋な色や形のあくなき追求だけでなく,
陽刻・陰刻・かき落とし技法などの完成が頂点にあたる。
後代の陶工たちは宋の陶工の極めた分野のその先を追求するのを,
諦めてしまったのではないかと考えてしまうほどだ。
そして,青と白以外の色の追求や,さまざまな絵付けの開発と工夫へと分野を変えていく。
それが,中国陶芸の領域拡大につながったのではないか。


北宋 汝窯 青釉碗 960年-1127年
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官窯は中国宮廷の御用窯であり,その時代の最高品質の陶磁器を製作した。
汝窯は北宋官窯の一つで,最高到達点といえるだろう青磁を焼いた。
この碗,青釉碗とあったが,日本では「青磁碗」と呼ばれる。
外側の空色が汝窯の青,空の色だ。


南宋 景徳鎮 青白釉叶脉紋印花花口盤と盞 1127年-1297年
Bluish-white-glazed Cup with Flower-shaped Rim
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青白釉とあるが青白磁のことで,薄い空色が美しい。


南宋 景徳鎮 青白釉刻劃花紋碗
Bluish-white-glazed Bowl with Carved Pattern
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景徳鎮も官窯であるが,官窯になったのが宋代からかどうかを私は知らない。
この碗には細く浅い線で模様(劃花紋)が描かれている。


南宋 官窯 粉青釉三足炉
Lavender-grey-glazed Porcelain Incense Burner
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まさに南宋官窯の青だ。


宋 官窯 粉青釉海棠式套盒
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中国国家博物館の陶磁器展示場では,
解説板に漢字表記の名前と英語表記の名前が両方書いてあるものもあったが,
漢字表記だけのものも多く,この套盒の英語説明はなかった。
套盒はトウゴウと読む。辞書で調べると「重箱」とあった。
積み重ねることができる容器のことらしい。
また,宋とだけあって北宋か南宋か書いていなかったが,南宋ではないかと思う。
青色が美しく,貫入がいい。

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上記套盆を,角度を変えて上から見た。


南宋 官窯 粉青釉瓶
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宋 定窯白釉 劃花萱草紋碗
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おそらく北宋の,みごとな定窯白磁。


宋 定窯 白釉劃花萱草紋碗
White-glazed Porcelain Bowl with Incised Lotus Design
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定窯白磁。
ハスの花が陰刻されている。


南宋 哥窯 魚耳炉
Porcelain Incense Burner with Fish shaped Handles
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哥窯の作品は少なく,我が国には伝わっていないのではないかと思う。
どうなのだろう。
あり難いことに作品は中国には残っていて,故宮博物院では特別展が行われていた
『哥窯磁器 鑑賞(北京 故宮博物館「紫禁城」探訪記6)』。


宋 哥窯 葵口盤
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上記「葵口盤」を斜め上から見たもの。
画像の色が濃くなった。


宋 耀州窯(ヨウシュウヨウ) 青釉刻花菜fu尊 960年-1279年
Green-glazed Porcelain Vase with Incised Floral Design
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英文では緑釉とあるが,沈んだ色合いの黄緑色(オリーブグリーン)をしている。
陽刻(刻花)の線が鋭く,力強さと気品を感じさせる。


金 耀州窯 青釉刻犀牛望月紋碗
Blue glazed with Rhino and Moon Design
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犀牛望月紋とあるが,模様がよくわからない。


宋 吉州窯 玳皮天目茶碗(タイヒテンモクジャワン)
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玳皮はタイマイの甲羅(べっ甲)を意味する。


北宋 鈞窯 紫海棠式花盆
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深い紫色。


宋 鈞窯 紫釉花盒
Rose-violet-glazed Porcelain Flower Pot
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紅紫をした鈞窯らしい作品。


北宋 建窯 黒釉兎毫盞(コクユウトゴウサン)
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建窯は天目茶碗を焼いた窯。
口縁が湾曲し,釉が垂れて下に小さな粒をつくっている。
下部の腰部は黒色で上部の胴部は褐色であり,
褐色が細い線状になって黒色部に滴り落ちている。
日本人好みの碗になっているが,
白磁・青磁を好んだ北宋人にもこのような趣味があったことが面白い。


宋 磁州窯 白地黒花辦光魚紋梅瓶
Black-glazed Porcelain with Fish and Plum Design
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白地の上に黒色の釉を塗り重ねて二層にした後で,上の層を削り落として紋様を描き出している。
磁州窯は民窯であるが,雑ということはなく,
胴部の魚紋は力強く,存在感があって見事である。
腰部の縞模様には線の動きがあって,胴部との対比が印象的だ。


宋 吉州窯 黒釉劃刻梅花紋瓶
Black glazed Bottle with Plum Flower Design
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筆が大胆に走っている。
大量生産された中の一品ではないか。
民衆が普段使いした物だろう。



(2)遼・西夏の陶磁器

遼 三彩釉印花遊魚海棠式長盤 916年-1125年
Sancai-glazed Porcelain Dish with Stamped Fish Design
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内蒙古出土
遼三彩。


西夏 褐釉剔(テキ)花扁壷 1038年-1227年
Brown-glazed Porcelain Flask with Carved Floral Design
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磁州窯の系統だろうと思うのだが,場所的には離れている。


西夏 靈武窯 黒釉剔刻牡丹紋瓶 1038年-1227年
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上記の褐釉剔花扁壷と同じく,磁州窯の系統ではないか。


古代,遼・西夏とも夷狄であって,中華の優れた文明と比べて劣った文化と道徳をもつ国々とされた。
その劣った作品――そういわざるを得ないのだが,日本的感性からすれば評価できるところはある――
が中国国家博物館に展示されているのは,比較対象だけではなく,
博物館としての歴史的教育の役割と政治的な立場によるものだろう。

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