寡聞にして私は張大千(1899年)~1983年)を知らなかった。
彼は現代中国の代表的画家の一人であり,画だけではなく,書・篆刻・詩にも通じていた。
一時期,彼は敦煌莫高窟に住み込んで壁画を模写し,
それによって莫高窟壁画を広く世に知らしめた功績がある。
国共内戦時に中国を出て,香港・ブラジル・アメリカ・アルゼンチンと移り住んだ後,
1978年中華民国に移居し,そこで晩年を過ごした。
山水画を得意としたが,花卉画にも優れた。
古典的中国画技法と現代の技法を癒合させたとして評価される。
また,贋作者として知られる。
彼は現代中国の代表的画家の一人であり,画だけではなく,書・篆刻・詩にも通じていた。
一時期,彼は敦煌莫高窟に住み込んで壁画を模写し,
それによって莫高窟壁画を広く世に知らしめた功績がある。
国共内戦時に中国を出て,香港・ブラジル・アメリカ・アルゼンチンと移り住んだ後,
1978年中華民国に移居し,そこで晩年を過ごした。
山水画を得意としたが,花卉画にも優れた。
古典的中国画技法と現代の技法を癒合させたとして評価される。
また,贋作者として知られる。
華山雲海図 1936年 46.3×590cm
全体的に写実的で,伝統に従って老松が描かれている。
そして,雲が雲として写実的に描かれている。
しかし,引っかかるかるものがあって,
それは伝統的な“気”の雰囲気がないということだ。
そもそも中国山水画の“気”がよくわからないのだが,それでも,
私にも石涛の雲と張大千の雲の違いが感じられる。
ましてや,元代以前の画家達とは違う。
張大千の雲はおとなしい。
この世離れしていなくて,つまらなくさえ感じさせる。
それは着色のせいかもしれないが,
一般的にいって,中国山水画の着色は,色を重ねないこともあって,
対象の視覚的可能性を引き出せていないように私には思える。
また,彼は贋作の大家だというから,元代の大画家の雲に似せることができたのだろが,しなかったのはなぜか。
彼の画を求める顧客の要望がそこになかったのだろうか。
彼の力量にもよるだろうか。
全体的に写実的で,伝統に従って老松が描かれている。
そして,雲が雲として写実的に描かれている。
しかし,引っかかるかるものがあって,
それは伝統的な“気”の雰囲気がないということだ。
そもそも中国山水画の“気”がよくわからないのだが,それでも,
私にも石涛の雲と張大千の雲の違いが感じられる。
ましてや,元代以前の画家達とは違う。
張大千の雲はおとなしい。
この世離れしていなくて,つまらなくさえ感じさせる。
それは着色のせいかもしれないが,
一般的にいって,中国山水画の着色は,色を重ねないこともあって,
対象の視覚的可能性を引き出せていないように私には思える。
また,彼は贋作の大家だというから,元代の大画家の雲に似せることができたのだろが,しなかったのはなぜか。
彼の画を求める顧客の要望がそこになかったのだろうか。
彼の力量にもよるだろうか。
巫峡清秋図軸 1939年 124.8×35.5cm
力作。
力作。
臨mo十一面観音像軸1941年-1943年 紙本設色125.9×61㎝
Moは(まねる)の意味の漢字。
Moは(まねる)の意味の漢字。
臨mo盛唐西方浄土変軸 1941年-1943年 布本設色315×261㎝
西康紀遊図冊 1947年 62.7×33.4㎝
上述の華山雲海図を描いたころより,
手法といい画の構成といい立ち昇る雰囲気といい,
内面性を重んじた中国山水画本流に近い描き方をしているが,
写実性にこだわり,どこか中途半端に感じる。
手法といい画の構成といい立ち昇る雰囲気といい,
内面性を重んじた中国山水画本流に近い描き方をしているが,
写実性にこだわり,どこか中途半端に感じる。
仿宋人溪山無尽図軸1948年紙本設色
宋の画家に倣っているようには見えないのだが。
宋の画家に倣っているようには見えないのだが。
序のところでは,日本語で書かれたものを参考にして張大千の紹介をした。
これと中国語のもの(維基百科,自由的百科全書)と違うのが面白い。
中国語でも,彼が「中國當代知名藝術家」とあるのは変わりがない。
しかし,日本語のものにはない家族関係の記載が多い。
彼が姉妹の死にあって世の無常を感じて出家したが次兄の説得で還俗したとか,
妓生を妾としたが彼女は抗日のため日軍に強姦されたあと自殺したとか,
台湾移居後日本を行き来する間に美しい日本女性と知り合って彼女に詩を贈ったとか,
彼女を常に側から離さなかったとかある。
愛する女性を殺した国に対して彼に感情的しこりはなかったのだろうかとか
どこまで史実なのかとか気になるが,
中国圏ではこれが事実として定着するのだろう。
書かれて散布される言葉は恐ろしい。
これと中国語のもの(維基百科,自由的百科全書)と違うのが面白い。
中国語でも,彼が「中國當代知名藝術家」とあるのは変わりがない。
しかし,日本語のものにはない家族関係の記載が多い。
彼が姉妹の死にあって世の無常を感じて出家したが次兄の説得で還俗したとか,
妓生を妾としたが彼女は抗日のため日軍に強姦されたあと自殺したとか,
台湾移居後日本を行き来する間に美しい日本女性と知り合って彼女に詩を贈ったとか,
彼女を常に側から離さなかったとかある。
愛する女性を殺した国に対して彼に感情的しこりはなかったのだろうかとか
どこまで史実なのかとか気になるが,
中国圏ではこれが事実として定着するのだろう。
書かれて散布される言葉は恐ろしい。